『四次元の世界の生き物が四次元の世界から眺めれば、私たちの行動もばかばかしく滑稽な、ゆがんだ行動に見えるだろう』 ~ヴィラヤヌル・ラマチャンドラン
以前、世界は全て情報から出来ていると書きました。
今日は、それを私たちの脳がどのように処理しているかというお話です。
セス・ロイド曰く、「宇宙は量子コンピュータであり、その中で処理される情報は、幾度かの"情報処理革命"によって、星々や生命、そしてわたしたち人間を生み出してきた。」と。
その理論に納得した私には、周囲の景色や人々が会話する様子が、数字の流れに見える、ということもお話しました。
…なんか、アブナイ人みたいですが(笑)
でもそれは、私の脳が、現時点での世界の理解に基づいて紡ぎ出す世界なのであり、他の人にはきっと、違って見えることでしょう。
というか、"世界"はそれを観察する者の数だけ存在し、一つとして同じものはないのです。
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ヴィラヤヌル・ラマチャンドランは臨床脳科学者で、"幻肢の切断術"に世界で初めて成功したことで知られています。
"幻肢"とは、失った手や足がまだ存在すると感じる症状、または感じられる手や足そのものを指す言葉です。
それを持つ人は、存在しない手の指が存在しない手の平に食い込む痛みに苦しんだりする場合もあれば、自在に動かして物もつかめると主張する場合もあるそうです。
ラマチャンドラン博士は、鏡を入れた箱を作り、それを使って患者の脳に"その手はもうないのだ"と納得させることで、"幻の"手を切断することに成功したのです。
詳しくは博士の著書「脳の中の幽霊」にゆずりますが、この事例からわかるのは、
「脳の中の手と、"実際の"手は、別の物である」ということです。
博士はこの他にも、脳の機能障害について様々な症例と、それについての考察を述べられています。
そして、以下の症例が示唆する事柄に気づいた時、私は非常に大きな衝撃を受けました。
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ある女性は事故で脳のある部位にダメージを受け、一命はとりとめたものの、ある奇妙な症状が残りました。
彼女は身だしなみにとても気を使う人で、無事回復したある日、しっかりと化粧をして服も入念に選び、出かけようとしていました。
しかし周囲の人は、その格好を見て心底驚いたようでした。
なぜなら、彼女は顔の右半分にだけ化粧をし、衣服も左半分はきちんと着ることができていなかったからです。
彼女の脳は事故により、"世界の右半分しか認識できなくなってしまった"のです。
単に左半分が見えないというのではないのです。
それどころか、彼女の視覚野は無傷で、彼女の左側にあるものも映し出しているはずでした。
にも関わらず、彼女は世界の左半分を完全に"無視"するというのです。
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"半側無視"と呼ばれるこの症状は、脳の特定部位の損傷によって現れます。
多くの患者は、患者の右側に鏡をおいてその人から見た左側を映し出しても、それを左側とは認識しないそうです。そして、「そこにあるものを掴んで」と指示されると、困ったように、鏡の中に向かって手を伸ばすそうです。鏡がどういうものか、わかっていながら。
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私はそれを読んだ時、慄然としてしまいました。
半側無視の患者の症例は、「私たちが認識している"世界"は世界そのものではなく、脳が提示する一つの解釈に過ぎない」ということの証拠を我々に突きつけています。
では、脳の欠損のない人が見ているこの世界が、世界の唯一無二の姿だと、どうして言えるでしょう?
赤外線、超音波、磁場・・・
私たちが生身では感知できない情報が、世界には溢れているようです。
それだけではありません。空間の認識についてさえ、この話は疑問を投げかけています。
前、後ろ、上、下、右、左・・・
未来、過去・・・
・・・他には?
私たちにはいったい、世界のどれだけが"見えて"いるのでしょう?
目の見えないアメーバが触覚だけを頼りに認識する世界と、人間が認識する世界には、果たしてどれだけの隔たりがあるのでしょうか。
ともあれ、私たち人間にとっての世界とは、脳が自らに許された能力の範囲で、五感からの入力を元に紡ぎ上げ続ける世界だということは間違いないでしょう。
そして、世界の真の姿とは、永遠に私たちの"手"に触れることさえないのかもしれません。
しかしそれでも人間は、手探りで少しずつ、世界の真の姿を探らずにはいられない生き物なのです。
『脳が自分自身を理解しようと奮闘している。だからこそ神経学はわくわくするほど面白い』 ~ヴィラヤヌル・ラマチャンドラン