2010年10月8日金曜日

哲学する科学:プロパガンダと影の支配者たち

皆様、大変ご無沙汰いたしました。私は今インドを放浪中で、今ダラムサラにいます。なかなかメルマガを発行できず、申し訳ありません。ただ、発行頻度よりもしっかりした内容をお届けすることを念頭にこれからも続けてまいりますので、今後ともどうかよろしくお引き立ての程お願い申し上げます。

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私は以前、ミームを使ったエンジニアリング(ミーム工学)を確立すれば、21世紀において個人や社会の在り方を変革する原動力となるのではないかと書きました。今もその信念は変わりません。(詳しくはバックナンバー「ミーム工学が拓くヒトの新時代」をご参照ください)

最近は、私の思い描くミーム工学と近い既存の学問体系について勉強しています。心理学、生物学、文化人類学、計算機科学、情報工学、認知科学・・・
そしてこれらを学んだ上で、やはりミーム工学が必要だと感じたならその端緒を開くための活動を開始しようと考えています。

ところで、私がミーム工学について書いた直後に、"それに近いものなら既にある"と教えてくれた読者の方がいらっしゃいました。
今回はその方が教えてくれた「プロパガンダ」というものについて、私なりの考えをお話してみたいと思います。

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あなたは、プロパガンダという言葉で何を思い浮かべますか?

ウィキペディアの記事から抜粋すると・・・

『プロパガンダ (propaganda) は、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する宣伝行為である。
通常情報戦、心理戦もしくは宣伝戦、世論戦と和訳され、しばしば大きな政治的意味を持つ。最初にプロパガンダと言う言葉を用いたのは、カトリック教会の布教聖省 (Congregatio de Propaganda Fide) の名称である。ラテン語の propagare(繁殖させる)に由来する。』

なんとなく、マインドコントロール的な意味合いが強いネガティブなものとして説明されていますね。

しかしプロパガンダを生み出した男は、そうは思っていなかったようです。

20世紀の初め頃に活躍した「プロパガンディスト」エドワーズ・バーネイズは、近代広告業界の父と呼ばれ、「プロパガンダ教本 (原題は"Propaganda")」という本を著しました。

バーネイズは、プロパガンダという名で大衆の心理を効果的に操作する手法は彼が確立したものであるといいます。

そして彼がプロパガンダについての本を書いたのは、ナチスドイツによるプロパガンダ技術の悪用により、プロパガンダという言葉に染み付いてしまったネガティブなイメージを払拭するためだと言われています。

バーネイズはこんな風に書いています。『プロパガンダは大衆説得の技術』であり、民主主義の世界的な普及とともに、民意を効率的に束ね、社会的に重要なことを達成するために必要不可欠なものとして生まれてきたものであると。

プロパガンダの技術を使えば、大衆を思い通りにコントロール出来るといいます。

身近でわかり易い例を使ってご説明しましょう。

数年前打ち切りになった「あるある大事典」というテレビ番組がありましたが、この番組で紹介される商品は必ず売れるという評判でした。

「あるある大事典」が行っていたことは、以下のようにまとめることができます。

ある企業が売り込みたい商品を持ってくる。番組制作者は、その商品を以下にして売り込むかについてのシナリオを書き、それを裏打ちするような研究をしている学者などを使って権威付けする。

結果として私たち大衆は、「なるほどー、納豆はそんな風に体にいいんだ!明日から毎日食べようっと」などと思ったりする(プログラムされる)わけです。

あるある大事典は、最後には研究結果などを捏造して番組は打ち切りになってしまいましたが、そういうルール違反を犯さなければ、いまでも毎週何かについての私たちの購買意欲を刺激し続けていたことでしょう。

そして、「あるある」が使っていた手法は、正にバーネイズが書いていたことそのものでした。

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バーネイズは、「プロパガンダ」という言葉についてまわるネガティブなイメージをついに払拭することができないまま、この世をさりました。
しかし彼はその著書の中で、大衆が決定権を持つ民主主義社会の潤滑材的としてなくてはならないポジティブな技術という位置づけでプロパガンダを紹介しています。

そしてバーネイズは、民主主義の主役である大衆をコントロールする技術を持つ人々が「見えない統治機構」を構成し、支配者として君臨していると言っています。

『この、”姿の見えない統治者”と呼べる人たちは、多くの場合、彼ら自身も、その統治者の集団の他のメンバーたちのことはお互いに知らない。』~エドワード・バーネイズ

あるある大辞典の例を見れば明らかなように、メディアを使った大衆のコントロールは可能です。バーネイズの技術は100年経った今も有効だということです。

インターネットが人間社会の情報の流れを大きく変えた現在も、マスメディアは大きな力を持っています。そしてそれを利用して大衆をコントロールしようとする広告代理店、財界人、政治家。大衆操縦のためのデータに権威付けをする学者たち。

私たちは彼らの意のままに操られているのでしょうか?

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私は、突き詰めて考えればそのような「影の支配者」はいないと考えます。

例えば、ある食品業界のリーディングカンパニーの広報部にいる才気あふれるある社員が、メディアを利用してある食品の健康増進作用について広く告知し、売上を伸ばすことに成功したとしましょう。

しかし、彼がそのようなことをしたのは、上司から「方法は問わないから売上を伸ばせ」と言われていたことに起因したとしたらどうでしょう?

つまり、彼は上司にある意味において操られ、プロパガンダを実行したということです。

彼は人々にある食品を買わせることに成功しましたが、彼は人々を操りたかったのではなく、上司に認められ、出世したかっただけなのです。

では、彼の上司が私たちの心を操る影の支配者でしょうか?そうではないでしょう。上司は単に、売上を伸ばしたかっただけなのですから。

そして、「豊かになりたい、社会で成功したい」といった考え方がこの世の価値観の全てではありません。そうした考え自体も、人生のある時点でその人の外側からその人に入り込んだ考え方なのです。

商売がらみではなく政治的な問題だったとしても、直接世論操作する人の背後には必ずそれを動かす人がいて、さらにその人は誰かや何かの影響をうけた結果そうした行動に至ったことに違いはありません。

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プロパガンダ、もしくは現代の洗練された商業的または政治的な広報活動は、確かに大衆を操る効果的な手法ではあります。

しかし私たちが生きているということは、常に何かの影響を受けながら作動するということを意味します。

つまり、操る側も必ず誰かに(または何かに)操られているということです。

よって、真の意味での影の支配者はいないと、私はバーネイズに言いたい。


大きな影響力を持ち、確信犯的にそれを行使し、支配者を気取っている人もいるでしょう。

しかし、彼等の意思はどこからやってくるのでしょうか?

彼等がある行動に大衆を駆り立てようとする、その動機の奥底にある、真の動機は?


・・・私たちの誰もが、他の誰かが発した情報を受け取らずに生きることはできません。

友達からくるメールや話し相手の発する言葉は、少しずつあなたの心に変化を与えます。

新聞やテレビなどのマスメディアは情報を大量配信し、大衆の合意を形成するための媒体となっています。

ネットはパーソナルなメディアとしても機能しますが、それもまた人が人に影響を与えるための経路の一つです。

そうしたものからの影響を一切絶とうとしても、文明社会に生きている限り、私たちの視界は人工物でいっぱいです。

家の中にいれば窓の外以外は全て人工物です。では、窓の外には何が見えるでしょうか。

舗装された道路、家々、街路樹、商店やビルディング、様々な広告、道行く人々のファッション、自動車、、、

そら以外のほとんどのものは、人が作ったものか、人が手を加え、配置したものばかりです。


私たちは時に、それを見たり触ったり使ったりすることを通して、作った誰かの思いを自分の中に取り込み、それは私たちの行動を少しずつ変えていきます。

人々を意のままに操っている気になっている人も、こうした外部からの影響のもとに行動しているのです。

あなたも私も同様です。

そして同時に私たちは、多少に関わらず何かを生み出し、知らず知らずの間に他の誰かに影響を与えています。

何か形のあるものを作らなければならないというわけではありません。

例えば、あなたの放った何気ない言葉が、他の誰かの心に火をつけて思い切った行動に駆り立てることもあるでしょう。

ネットが普及した今では、あなたの書いたブログを読んだ誰かがそれを読んだことによって、それを読まなかったときにはするはずのなかったことをし始める場合だってあるのではないでしょうか。


これらは全て、私たちの本質が脳という自己プログラミングする情報処理システムであることに起因しています。

バーネイズが確立したプロパガンダという技術は大衆を操作する有効な手段ですが、私たちは操るものと操られるものに分けられることは決してありません。


私たちは皆、操り人形であると同時に、無自覚な人形使いなのです。


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