2011年1月3日月曜日

哲学する科学:人工生命元年の終わりに寄せて

早いもので、2010年も終わろうとしています。

1984年に作られた映画<2010年>では、太古の昔に人類の祖先を文明に目覚めさせた存在が、今度は木星の衛星エウロパに芽生えた知的生命体を進化させるために木星を太陽化させた年が西暦2010年でした・・・が、私たちの"現実"においてはそのような出来事は起きませんでした。

その代わりに、遺伝子工学の発展で人工生命を生み出せることが証明された年となりました。
ニュースでも取り上げられたのでご存じの方も多いでしょう。
ヒトゲノムを解析したクレイグ・ベンター博士のチームが、今度はコンピュータ上で編集した遺伝情報を細菌の細胞に書き込み、生命として活動させることに成功したのです。

ベンター博士は講演会で、「<生命とは何か>ということについて、私たちの理解が先に進められることになる」と語り、また今回の成果の応用として、「人間によって遺伝子をデザインされた生物(細菌など)を使って、二酸化炭素から石油に変わるエネルギーを生み出し、エネルギー産業を一変させることが出来る」というようなことを、さらっと説明してくれちゃっています。

生物の機能を遺伝子レベルで詳細に操作できるようになると、農作物に手を加えて栄養価や生産性を高めたりすることで食料不足を改善したり、体内に入って免疫力を高めたり病気を直したりする細菌やウィルスをつくることも可能でしょう。

問題の(?)講演会はこちらで見ることができます。
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/craig_venter_is_on_the_verge_of_creating_synthetic_life.html

哺乳類のような複雑な生命体を直接操作することはまだ難しいということですが、そう遠くない将来、私たち"人類の叡智"は自らの身体さえも思い通りに改造していくことでしょう。

小説<2001年宇宙の旅>の作者、アーサー・C・クラークが同著の前書きで「事実は空想よりも常に、遥かに異様であるにちがいない」と書いていましたが、まさにその通りの様相を呈してきています。


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さて、ベンター博士のチームが証明したのは、突き詰めれば「細胞はコンピュータのハードウェアのようなものであり、遺伝情報はコンピュータのソフトウェアのようなものである」ということです。

どういうことかというと、例えばある細胞に改変したDNAをインストールすると、そのソフトウェア(DNA内の情報)に従って動作し、やがてはハードウェア自身をソフトウェアの支持に従って書き換えてしまうということです。

人間が作った道具としての"コンピュータ"と違うのは、ハードウェアを作るのもソフトウェアであるということです。

私たちの身体を構成する60兆もの細胞の一つ一つは、たったひとつの受精卵の中にある一揃いの遺伝情報に書かれているある種の指令によって作られます。

改めて考えてみると信じられない気もしますが、細胞膜はどんなふうに作り、どの様に細胞を分裂させ、どんなタイプの細胞にいつどのように別れていくか…そうしたことは全て遺伝子に書かれているというわけです。スゴイですね。

で、その受精卵もまた、女性の体の発達の結果作られる卵細胞(卵子)という細胞のひとつに、男性の身体の発達の結果作られる精細胞(精子)が入り込み、それらの遺伝情報が合わさることで作られるわけです。

そしてそれを実現するための人の行動もまた、(ある程度までは)遺伝子の指令だというのですから…まったく、ねえ。

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で、このように考えてくると、ソフトウェアである遺伝情報と、ハードウェアである細胞のどちらが先に生まれたのかという疑問も生じてきます。

生命が誕生したと言われる36億年前の地球については、当時の状況を知る手がかりが非常に限られていて、最初の生命がどの様に生まれたかということについてはまだはっきりと分かっていませんが、多くの科学者が仮説を立てています。

生物学者リチャード・ドーキンスは、まず自らを複製する遺伝子が生まれ、その遺伝子が進化して、細胞という鎧をまとうようになったというような仮説を「利己的な遺伝子」の中で語っています。

「はじめに遺伝子ありき」

生命の本質は遺伝子であり、私たちヒトを含む生き物の身体は遺伝子の乗り物に過ぎないと説くドーキンス博士らしいですね。

でも考えてみると、最初に体だけあっても自分を複製することはできなかったでしょうから、少なくとも遺伝子が最初にあっただろうことには疑う余地はあまりないように思います。

ただし私は、「遺伝子が先に生まれたから、私たちの正体は遺伝子である」と結論づけるつもりはありませんが。

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「私たちの身体は、遺伝子を守り、受け渡すための入れ物であり、乗り物である。」

このドーキンスの考え方に異を唱えるつもりはありません。

しかし、ドーキンスのこの考え方自体も、ダーウィンの考え方を発展させたものであることを考えると、こうした考え方(思想)のようなものは、遺伝子によって受け渡されるものでないことは間違いなさそうです。

それは、ダーウィンの著書や論文によって他の人間の脳内に(少しずつ異なる)思想の複製が生まれ、複製を持った人間の一人であるドーキンスの脳の中で変異することで誕生したものです。

<ミーム>と呼ばれる、思想や文化を運ぶ遺伝子以外の自らを複製する情報の断片(自己複製子)について最初に提唱したのもまたドーキンスであるということは、とても興味深い事実です。

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ベンター博士の研究もまた、先人たちが残したミームを受け継ぎ、それを元にして生み出されたものです。メンデルが<遺伝学>というミームを生み出し、ワトソンとクリックがDNAを発見し、<遺伝子工学>が生み出されなければ、「人工細菌」も生まれなかったでしょう。

つまり、遺伝子を人工的に操作するということは、「ミームが遺伝子を支配し始めた」と見ることもできます。

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ただし、私たち(ミームたち)は注意しなければなりません。

私たちの身体を含む地球の生態系は、数十億年という気の遠くなる歳月をかけて作られてきたものです。そして、私たちはそのすべてを理解しているわけではありません。

いまある地球上の生物圏の多様性と美しさに、操作を加えるということに関しては慎重の上にも慎重に行う必要があるでしょう。

しかし私たちの本性として、世界に干渉する新しい方法を生み出し、それを実際に活用するということを止めることはできないとも思います。

ミームは複製され、増殖し、変異するという性質を持っているのですから。

ベンター博士が生み出した新たなミームは、やがて世界に大きなインパクトを与えることでしょう。

それがこれからどのように広がり、どのように変異し、どのように世界を変えていくのか。

そう、ミームには世界を変える力があります。

<環境保護>というミームは、世界のあり方を大きく変えようとしています。

ベンター博士のミームは、<環境保護>や<生命の尊厳>といった強力なミームたちと競合し合い、しのぎを削り合いながら、世界を変えていくことでしょう。

そして、それは同時に私たちそれぞれに向かって、

Q:生命とは何か

Q:ヒトとは何か

Q:人類とはなにか

といったことを問い直してきます。

2010年の終わり、カウントダウンなどしながら、新しい年の始まりに向けて、こうしたことを考えてみるのもいいのではないでしょうか。

なぜって、私たち一人ひとりのそうした思索の積み重ねもまた、積み重なれば世界を変える重要な要素となっていくのですから。

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今年もありがとうございました。来年が皆様にとってよい年となりますように。ハッピーニューイヤー!