2010年7月19日月曜日

哲学する科学:脳が紡ぐ世界の中心でネコと話す

(大変ご無沙汰いたしました。今回はちょっと個人的な内容です。)

人はなぜ、ペットを飼うのだろう?

そもそもペットとは、なんだろう?

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古来、ネコは害獣を駆除する益獣として、犬は狩猟のパートナーとして、ヒトと共生関係を持つようになったという。

特に猫は、穀物などの食糧だけでなく、記録媒体としての紙をネズミの被害から守る、"外部化されたミームの番人(番猫?)"という役割も担っていたらしい。

やがてヒトは、自らの脳が持つ"世界を作り出す能力"によって見る世界の中で、それら共生関係にある動物たちに"心"を与え、私的対話を始めた。

ヒトは、あらゆるものを擬人化する能力を持っている。
これは脳という"世界推論機"の中で、外界にある事物の振る舞いを予測するのに効果的な手段だからだと思われる。

犬や猫のような生命体は特に、自律的に作動して人間と似た振る舞いも多く見せるにも関わらず言葉が通じない為、私たち人間は擬人化してその意図などを推測することになりやすい。

ペットショップの檻の中でこちらを見つめて鳴いている動物を見ると、遺伝子の呼び声(母性、父性)とあいまってつい、自分に保護を求めているなどと思い込みがちだったりする。

実際、そうなのかもしれないが、単に現時点で空腹に耐え難く、母親が近くにいないので誰彼構わず本能的に鳴いているどけかもしれない。

しかし私の脳はご多分に漏れず、それ自体が生み出す世界の中で、自宅の勝手口に現れて泣き続けるそののらネコに"人格"を与えた。
程なく"ハナ"という名前も与え、彼女は私の脳の中で、私の一部となった。

以来、私の脳はその"ハナ"という記号に多くの意味を加えていった。同時に、脳の中で彼女の思考をシミュレートし、"心"を通わせていった。

実際のところそれは、シミュレーションというよりは"事実の捏造"に近かったと思う。
彼女は単に、人間が支配するこの世界の片隅に生き残ってきたが当然持っているだろう特性を、つまり遺伝子の作った機械として現在置かれた環境での生き残りに有利な行動を、現し続けていただけなのかもしれない。

しかし私の脳が紡ぐ"私の世界"の中では、彼女はそれだけの存在ではなかった。常に私を"信頼"し、誰より私が"好き"で、そして、"家族"の一員であり、私の宇宙を豊かにする、とても大きな存在だった。

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"ハナ"は私に役割も与えてくれた。

私の世界の中では、私は彼女の"保護者"であり、人間の支配する世界の中で弱い存在である彼女を、人間や他の猫たちから守った。
気付けばその役割は、私という存在を私自身に説明する上で欠かせない程になっていた。

*=*=*

3月、彼女は不治の進行性慢性疾患の最終段階に入った。

昨夜病院に連れて行き、痙攣の発作を抑えるための注射を打ってもらった。このまま、眠るように最期を迎えるだろうという。

たった今、前足を素早く三回振った。狩りの夢でも見ているのだろうか。

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彼女は、持って生まれた人好きのする性質と、私の側で生まれたという条件によって、私に"保護"され、食糧と安全な寝床にも困らなかった。

不満もいろいろあったとは思うが、それは概ね、"幸せ"なことだったのではないだろうか。

そして私もまた、彼女に"役割"を与えられ、彼女の守り神となることで、救われていたのだ。

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その後、医者の予想に反してハナは驚異的な回復を見せ、さらに一ヵ月半を生きた。

やせ細った体で自分で歩いてトイレに行き、食事もよく食べた。

そんな特別ボーナスのような時間、私は私の世界の中で、たくさん彼女と話すことができた。

今も彼女は、私の心のなかにある。

そのことはこれから先の私の人生を、彼女と出会わなかったよりも豊かなものにし続けてくれるだろう。

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ヒトとそれ以外の動物は、共益関係を結ぶことがある。

その関係の中で、ヒトの側が得る利益が"心の充実"である場合、その動物はペット(またはコンパニオンアニマル)と呼ばれる。

つまりペットとは、ヒトに保護されることで生き残る動物であると同時に、見返りとして、ヒトに"生きる目的"や"幸せ"を与えてくれる存在である。

ヒトはなぜペットを飼うのか。

それは、彼らと共に暮らし保護することが、自らを救うからである。

ハナ、長い間ありがとう。

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