子供の頃、つくば科学博覧会というのがありました。いわゆる「科学万博」ってやつですね。
科学をテーマにした様々な展示を、様々な国や企業が出展していました。
その中で忘れられないのが、富士通館でみた、「ザ・ユニバース」という映像作品です。
当時としては画期的な三次元のコンピュータグラフィックスで描かれた、太陽系の歴史でした。
その作品に詰まっていたのは最先端の映像技術だけではなく、私たち人間がどこからやってきたのか、という問いへ果敢に答えようとする"意志"も含まれていました。
それは、こんなナレーションで締めくくられます。
≪・・・私たちは、宇宙から生まれてきたのです。。≫
どういうわけか、幼い"魂"が震えて・・・・そして、涙が溢れました。
~~~~
ええと・・・わたしがお母さんから生まれてきたことは知っていますよ?(見たわけではありませんが ^^;)
でも、ある意味においては確かに宇宙から生まれてきたのは間違いない。
わたしはそう納得し、自分が何者かわかったと感じました。それは、とても幸せな時間でした。
~~~~
しかし、欲張りで忘れっぽいわたしは、しばらくするとこう自問していました。
「宇宙から生まれてきたのはわかった。でも、俺って一体なんなんだ? 何のために存在してるんだ?」
~~~~
セス・ロイドの"宇宙をプログラムする宇宙"を読むと、
「宇宙の本質は物質ではなく、実は情報こそが本質であり、その営みは全て"計算"とみなすことができる」
という考え方が頭の中に入ってきます。
これは一つのパラダイム・シフトであり、私はもう以前のように世界を眺めません。
映画『銀河ヒッチハイクガイド』を見た後の感覚が、今ではより強化された形で戻ってきています。
今度は≪計算中≫というテロップだけでなく、視界にある物体が数字の集まりに見えるし・・・
人と人が会話しているのを見ると、言葉という情報が交換され、脳がそれを取捨選択している様子が見て取れます。
・・・もちろん、いつもではないですけどね。
~~~~
「人間はなぜ生まれてきたの? それに何に意味があるの?」
セス・ロイドの"計算する宇宙"理論を踏まえると、このように考えることができます。
≪宇宙は巨大な量子コンピュータである。≫
≪そして私たちの脳もまた、プログラム可能な計算機(コンピュータ)である。≫
生物は、無生物を使った計算の中から生まれました。
そしてDNAを使った計算の中から、ヒトは生まれました。
人間より単純な生き物は、遺伝淘汰によって洗練された生き残りのための行動(プログラム)を実行しているだけのように見えます。
例えば、蚊は二酸化炭素濃度の高い方へ移動するようプログラムされており、その行動は食料である動物の血液を発見することに繋がっています。
人間は、それよりはるかに複雑ですが、遺伝子とミームによってプログラムされる機械であり、その行動は、長い遺伝淘汰で洗練された生き残りのための先天的プログラムと、後天的に獲得した脳内のプログラム(ミーム?)の淘汰によって規定されている、と考えられます。
私たちは宇宙の長い計算過程の中で生みだされ、今では宇宙の一部として、それぞれが複雑な計算を行っています。
何のために?
それは、宇宙の計算が終わってみないとわからない、と計算機の科学は言っています。
しかし、こう考えることもできます。
ヒトは機械だが、宇宙というどんな芸術作品もかなわない複雑精緻で美しい機械の一部だ。
計算機が問題を解くには、計算対象のモデル(コピー)をその内部に作る必要があります。
つまり、宇宙(世界)について考える一人ひとりの人間の脳の中には、それぞれ違う宇宙が存在する、というわけです。
よって、宇宙の中にはヒトの数だけ宇宙が存在します。
ヒトはそれぞれが、宇宙の中に宇宙を作り出す存在なのです。
私たちは「考え」ます。
それは、宇宙の中で一人、宇宙を作り出す作業なのです。
人は、人と交わります。
それは、宇宙と宇宙のぶつかり合いでもあるのです。
そしてぶつかり合った宇宙は、互いに影響しあい、それぞれの形を変えていきます。
今日も私たちは、宇宙を丸ごとひとつ抱えたまま目を覚まし、街を歩き、"他の宇宙"と情報を交換し、内なる宇宙の姿を少しずつ変えながら「生きて」います。
だから、私はこう考えるのです。
私たちが生きる意味は、自らの内なる宇宙を完成させ、大いなる宇宙に示すことだ、と。
(計算する宇宙編、完)
参考文献
宇宙をプログラムする宇宙
セス・ロイド著
早川書房
ご意見、ご希望、ご質問は mailto:thinking-science@live.jp まで
2009年11月1日日曜日
哲学する宇宙
『実は、宇宙は自分自身を計算している。自らの振る舞いを計算しているのである。』~セス・ロイド
~~~~
「宇宙はコンピュータだ!」などといわれると、
「そうかい、宇宙はコンピュータなんだね。じゃあ一体何を計算しているの?」
と、誰しも疑問に思いますよね?
セス・ロイドは、『宇宙は宇宙自身を計算しているのだ』と言い放ちます。
「なんだと?!」
と思わずつぶやきつつ、私はどこか背筋が寒くなる思いでした。
その感覚の正体はすぐにはわかりませんでしたが、やがて、"私というコンピュータ"はこんな結果をはじき出したのです。
「宇宙自身を計算する宇宙」は、「<私はいったい何なんだ>と考える人間」に似ている。
~~~~
<宇宙の"情報処理革命"史>の回で以下のような話をしました。
「コンピュータは意味のある仕事をしているけど、"遺伝情報の情報処理"って何か意味があるの?」
と考えることは、
「人間はなぜ生まれてきたの? それに何に意味があるの?」
と問うているとも取れる、と。
~~~~
「宇宙自身を計算する宇宙」が「自分の存在について考える人間」と似ているというのなら、「計算すること=考えること」なのでしょうか?
「考える」というのは、ある問いに対する答えを求めて情報を処理する、ということだと思います。
例えば、「目的地へ行くのに2つのルートがあるとして、どちらを選ぶか」と「考える」時は、情報を集めて頭の中で実際にそれぞれのルートで移動した場合のことを予想して、それらを比較しますよね?
比較のポイントもいろいろ考えられます。「どちらが早く着く?」「快適なのはどっち?」「楽しいのは?」
一般的には早く着くことを重視しそうですが、時間的余裕があれば、楽しいルートを選ぶかもしれませんね。
これは、脳というコンピュータが当面の課題に対してシミュレーションを行い、結果を評価して次の動作を決定するのに利用する、という一連の計算過程であると見て取れます。
では、目の前に見たことのない物体が現れた場合、私たちはどんな計算をするのでしょうか?
→今までに見たことのある物体に似た形のものはないか、記憶にあるデータと比較する。
→触ってみて、触感で記憶データを検索する。
→叩いてみて、音で(以下同文)
→においをかいで、それで(以下同文)
もしそれでもわからなければ、分散処理の出番です。
→誰かに電話をかけて物体の特徴を伝え、記憶データの検索結果を返してもらう。
上記のどこかで記憶上の物体と一致すればめでたく計算終了ですが、一致しなければ、集めたデータとともに「○月×日、△△で見た物体エックス」として記憶領域に格納されるか、きっぱり忘れてしまうかのいずれかでしょう。(忘れていいかどうかについても、一連の計算が行われます。)
同様に、
私はあの人が好きなのか? そうであるなら、どう行動すべきか?
あの失敗(または成功)の原因は何か? 反省して将来に生かすべき点はあるか?
腹減ったな。何食べようか? 朝食べたのはなんだっけ?体にいいのはやっぱアレかな?
といった考え、思考は、全て脳内の情報処理として捉えることができます。
つまり、「考えること」は「与えられたデータについて計算すること」であり、
故に「宇宙は考えている」とも言えます。
ところで、宇宙は何について計算しているんでしたっけ?
ロイド「宇宙自身についてだよ」
ということは・・・
宇宙は哲学している。「宇宙とは何か?」について。
では、私たち人間はその中で、何をしているのでしょうか?
(次回、"計算する宇宙"編の最終回です。)
参考文献
宇宙をプログラムする宇宙
セス・ロイド著
早川書房
ご意見、ご希望、ご質問は mailto:thinking-science@live.jp まで
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「宇宙はコンピュータだ!」などといわれると、
「そうかい、宇宙はコンピュータなんだね。じゃあ一体何を計算しているの?」
と、誰しも疑問に思いますよね?
セス・ロイドは、『宇宙は宇宙自身を計算しているのだ』と言い放ちます。
「なんだと?!」
と思わずつぶやきつつ、私はどこか背筋が寒くなる思いでした。
その感覚の正体はすぐにはわかりませんでしたが、やがて、"私というコンピュータ"はこんな結果をはじき出したのです。
「宇宙自身を計算する宇宙」は、「<私はいったい何なんだ>と考える人間」に似ている。
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<宇宙の"情報処理革命"史>の回で以下のような話をしました。
「コンピュータは意味のある仕事をしているけど、"遺伝情報の情報処理"って何か意味があるの?」
と考えることは、
「人間はなぜ生まれてきたの? それに何に意味があるの?」
と問うているとも取れる、と。
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「宇宙自身を計算する宇宙」が「自分の存在について考える人間」と似ているというのなら、「計算すること=考えること」なのでしょうか?
「考える」というのは、ある問いに対する答えを求めて情報を処理する、ということだと思います。
例えば、「目的地へ行くのに2つのルートがあるとして、どちらを選ぶか」と「考える」時は、情報を集めて頭の中で実際にそれぞれのルートで移動した場合のことを予想して、それらを比較しますよね?
比較のポイントもいろいろ考えられます。「どちらが早く着く?」「快適なのはどっち?」「楽しいのは?」
一般的には早く着くことを重視しそうですが、時間的余裕があれば、楽しいルートを選ぶかもしれませんね。
これは、脳というコンピュータが当面の課題に対してシミュレーションを行い、結果を評価して次の動作を決定するのに利用する、という一連の計算過程であると見て取れます。
では、目の前に見たことのない物体が現れた場合、私たちはどんな計算をするのでしょうか?
→今までに見たことのある物体に似た形のものはないか、記憶にあるデータと比較する。
→触ってみて、触感で記憶データを検索する。
→叩いてみて、音で(以下同文)
→においをかいで、それで(以下同文)
もしそれでもわからなければ、分散処理の出番です。
→誰かに電話をかけて物体の特徴を伝え、記憶データの検索結果を返してもらう。
上記のどこかで記憶上の物体と一致すればめでたく計算終了ですが、一致しなければ、集めたデータとともに「○月×日、△△で見た物体エックス」として記憶領域に格納されるか、きっぱり忘れてしまうかのいずれかでしょう。(忘れていいかどうかについても、一連の計算が行われます。)
同様に、
私はあの人が好きなのか? そうであるなら、どう行動すべきか?
あの失敗(または成功)の原因は何か? 反省して将来に生かすべき点はあるか?
腹減ったな。何食べようか? 朝食べたのはなんだっけ?体にいいのはやっぱアレかな?
といった考え、思考は、全て脳内の情報処理として捉えることができます。
つまり、「考えること」は「与えられたデータについて計算すること」であり、
故に「宇宙は考えている」とも言えます。
ところで、宇宙は何について計算しているんでしたっけ?
ロイド「宇宙自身についてだよ」
ということは・・・
宇宙は哲学している。「宇宙とは何か?」について。
では、私たち人間はその中で、何をしているのでしょうか?
(次回、"計算する宇宙"編の最終回です。)
参考文献
宇宙をプログラムする宇宙
セス・ロイド著
早川書房
ご意見、ご希望、ご質問は mailto:thinking-science@live.jp まで
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