2009年11月1日日曜日

哲学する宇宙

『実は、宇宙は自分自身を計算している。自らの振る舞いを計算しているのである。』~セス・ロイド

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「宇宙はコンピュータだ!」などといわれると、

「そうかい、宇宙はコンピュータなんだね。じゃあ一体何を計算しているの?」

と、誰しも疑問に思いますよね?


セス・ロイドは、『宇宙は宇宙自身を計算しているのだ』と言い放ちます。


「なんだと?!」

と思わずつぶやきつつ、私はどこか背筋が寒くなる思いでした。

その感覚の正体はすぐにはわかりませんでしたが、やがて、"私というコンピュータ"はこんな結果をはじき出したのです。


「宇宙自身を計算する宇宙」は、「<私はいったい何なんだ>と考える人間」に似ている。


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<宇宙の"情報処理革命"史>の回で以下のような話をしました。

「コンピュータは意味のある仕事をしているけど、"遺伝情報の情報処理"って何か意味があるの?」

と考えることは、

「人間はなぜ生まれてきたの? それに何に意味があるの?」

と問うているとも取れる、と。

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「宇宙自身を計算する宇宙」が「自分の存在について考える人間」と似ているというのなら、「計算すること=考えること」なのでしょうか?


「考える」というのは、ある問いに対する答えを求めて情報を処理する、ということだと思います。

例えば、「目的地へ行くのに2つのルートがあるとして、どちらを選ぶか」と「考える」時は、情報を集めて頭の中で実際にそれぞれのルートで移動した場合のことを予想して、それらを比較しますよね?

比較のポイントもいろいろ考えられます。「どちらが早く着く?」「快適なのはどっち?」「楽しいのは?」

一般的には早く着くことを重視しそうですが、時間的余裕があれば、楽しいルートを選ぶかもしれませんね。

これは、脳というコンピュータが当面の課題に対してシミュレーションを行い、結果を評価して次の動作を決定するのに利用する、という一連の計算過程であると見て取れます。


では、目の前に見たことのない物体が現れた場合、私たちはどんな計算をするのでしょうか?

→今までに見たことのある物体に似た形のものはないか、記憶にあるデータと比較する。

→触ってみて、触感で記憶データを検索する。

→叩いてみて、音で(以下同文)

→においをかいで、それで(以下同文)

もしそれでもわからなければ、分散処理の出番です。

→誰かに電話をかけて物体の特徴を伝え、記憶データの検索結果を返してもらう。

上記のどこかで記憶上の物体と一致すればめでたく計算終了ですが、一致しなければ、集めたデータとともに「○月×日、△△で見た物体エックス」として記憶領域に格納されるか、きっぱり忘れてしまうかのいずれかでしょう。(忘れていいかどうかについても、一連の計算が行われます。)

同様に、

私はあの人が好きなのか? そうであるなら、どう行動すべきか?

あの失敗(または成功)の原因は何か? 反省して将来に生かすべき点はあるか?

腹減ったな。何食べようか? 朝食べたのはなんだっけ?体にいいのはやっぱアレかな?

といった考え、思考は、全て脳内の情報処理として捉えることができます。


つまり、「考えること」は「与えられたデータについて計算すること」であり、

故に「宇宙は考えている」とも言えます。

ところで、宇宙は何について計算しているんでしたっけ?


ロイド「宇宙自身についてだよ」


ということは・・・

宇宙は哲学している。「宇宙とは何か?」について。


では、私たち人間はその中で、何をしているのでしょうか?


(次回、"計算する宇宙"編の最終回です。)


参考文献

宇宙をプログラムする宇宙
セス・ロイド著
早川書房

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