2009年12月6日日曜日

哲学する科学:魔法としての宇宙

2週間のご無沙汰でした。皆様、いかがお過ごしでしょうか?

前回書いた、

「メルマガに書いてある言葉を読むだけで、あなたが変わる。」

っていう話・・・

なんだか魔術めいて聞こえませんでしたか?

正直自分でも、なんだか自分が"アヤシイ宗教"の教祖様になったような気さえしました。^^;

しかし、「宇宙はすべて情報からできている」という説に従うなら、アヤシイ話も全部、あなたにとっての"現実"なのです。

というわけで、今回はもう少し、科学的な"現実"の定義についての考察をしてみたいと思います。

そこからあなたが何かしら、哲学的な気づきをお持ち帰りいただければこれ幸い。それでは、どうぞ!

~~~

私たち一人ひとりにとっての"世界"とは、私たちの脳の中の情報にすぎず、本当の世界は、私たちには決してみえず、触れないところにあります。

「実際に物に触れるよ?ほらほら」

といいながら何かを触っている方もいらっしゃるかもしれませんが、それは触覚で得た情報を脳が解釈したものを感じているにすぎません。


つまり、私たちの脳が、

目に見えるもの、聞こえている音、食べ物の味や何かを触った感触、重力の感覚など…

これらを総合して、一つの世界という解釈を紡ぎだしているわけです。

そして、その背後にある宇宙の真の姿は、どんなに科学が進歩しても、知ることができない。

私もあなたも、「世界はたぶんこうなっているのだろう」と、日々推論しているに過ぎないのです。そして、それが私たちにとっての、世界のすべてです。


脳が解釈する世界が私たちが知ることができる全てであるならば、

私たちの脳の中の世界こそが、私たちそれぞれにとっての"現実"である、と考えるしかないでしょう。

これを「現実」と呼ぶことに違和感があるのであれば、別の言葉に言い換えていただいても構いません。
といっても、"現実的"には、「その世界」の中で私たちは生きるしかないのです。


人の数だけ、世界があり、真実がある。

これは、間違いないことだと、私(という情報のかたまり)は、信じています。


つまり私は、「そういう宇宙」に住んでいるというわけです。

(そしてこれを読んだあなたの「宇宙」も、少しだけ私の宇宙に似たものになったはずですが ^^)



魔術の話に戻ってみたりしますと。。。^^;


例えば、、、

…ある夕暮れ時。田園風景を見渡す小さな神社にたまたま居合わせた5人の男女。

その全員が、「その場所に神様がいる」という感覚を共有したのなら、その瞬間、そこには実際に神様がいるのです。


・・・私の頭がおかしくなったわけではありませんよ? ^ー^)


ただ単に私は、

「私たちが"世界"と呼んでいるものが、私たち人間の頭の中にしか存在しないとするなら、それが全てだと考えるしかないだろ?」

という話をしているだけです。


例えば、あなたが一人きりの時に空想したものは全て、あなたにとっての"リアル"です。

しかし、一歩あなたが部屋を出て、誰かとその「何か」について話したとき、

相手がその「何か」を認めなければ、その"リアル"は揺らぎます。

人間の集団が大きくなるほど、あなたの頭の中の抽象的な「何か」を維持することは難しくなっていきます。

でもその一方で、長い人間の文化的歴史を経た現在、世界中にいる人間の大多数が共有している「何か」も無数に存在しています。

それらは、果たして人類共通の"現実"として認識されていますが、結局のところ、私たち人類は、数十億の脳の集合体として、世界を推論しているに過ぎない。

ならば、<愛>も、<幸せ>も、<夢>も、<希望>も・・・

<幽霊>のようなものなのではないでしょうか。

ある人間の集団が持つ共通の認識としてのみ、存在するという意味において。

~~~


・・・そして、あなた(の脳)という魔法使いは、あなたのための世界を、今日も紡いでいます。



ご意見、ご希望、ご質問は mailto:thinking-science@live.jp まで

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