2009年9月28日月曜日

哲学する科学:自由意思は存在しない?

今回から、メルマガのタイトルを変更しました。題して、「哲学する科学」。科学が哲学的命題に迫り始めた現状をお伝えするこのメルマガにもっともふさわしいタイトルをやっと見つけたと感じています。

引き続き、哲学的な問題を抱えつつも、宗教や既存の哲学には満足できない科学世代のあなたに、科学的な回答の数々をご紹介していく所存です。

今後ともよろしくお願いします!


…ただこのメルマガ、本来は「日刊」ではなく「不定期刊」として登録したもので、しがないサラリーマンである私が時間があるときに、本から得た(私にとっての)驚愕の新事実を時々おすそ分けできればいいな、と思って始めた程度のもので、こんなに毎日ばりばり発行するつもりはありませんでした(汗)

なので、今後はもう少しペースを落として、「持続可能な発行」を模索していきたいと思います。(^^)

どうか皆様、しばらくメルマガが届かなくてもご心配なく。そして突然また、連日届くようになってもびっくりせずにお付き合いください。



さて、前号までは主に慶応義塾大学の前野隆司教授の説く「受動意識仮説」から、「脳は無数のプログラムによって動く機械」で「意識は記憶を助ける小さなプログラムの一つに過ぎず、自由意思は持っていない」。しかし「脳の仕組みが分かったことで鉄腕アトムのような人工的な心は作れる」し「ロボットや動物と共存する手塚治虫的な世界がやってくる予感」すらするという話でした。


しかし、前回までの話の流れの中でさらっと書かれていた、「自由意思は存在しない」的な話が引っかかっている方もいるのではないでしょうか?

と、いうわけで、次回からは「意識」と「自由意思」について、何回かに分けて少し掘り下げてみたいと思います。

(つづく)

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