2009年9月30日水曜日

哲学する科学:意識の起源

まずはじめに、アンケートにお答えいただいた皆様、ありがとうございました。意外と(?)長くない、というご意見が多くちょっとびっくりしました。(もし日刊だったら長い、というご意見も頂きましたが^^;)
これを励みにしてさらに精進したいと思いますので、皆様どうか今後ともよろしくお付き合いくださいますようお願いいたします。


さて今回は、「意識はいつ生まれたのか?」という視点から、意識の本質について考えてみたいと思います。

心理学者ジュリアン・ジェインズは、その著書「神々の沈黙」の中で、≪3000年前の人間は意識を持っていなかった≫と主張しました。その根拠とは、、、


『古代ギリシアの大叙事詩、ホメロスの「イーリアス」や「オデュッセイア」に出てくる人間たちは、意識を持たず、裡から聞こえる神々の言葉に従って自動人形のように行動する。これらの古典を研究し、彼が提示した仮説は、「意識は人間が機能する上で特に重要ではなく、<私>という概念は、意識が形成する歴史的産物である。3000年以上前、人間には意識も<私>という概念も、人間が自分の裡に心を持っているという認識もなく、人はただ、自らの裡から聞こえる「神々の声」に従って行動していた。』

さらにジェインズは、
『当時の人間の心は二分されていて、右脳は非言語的な「神の声」を発し、左脳はそれを言語的に解釈して実行していた。しかし、ある時期を境に人々は徐々に神の声を聞くことができなくなっていった。しばらくは、神の声をまだ聞くことができる一部の人たちが、聞こえない人たちに神の託宣を伝える役割を担った。現代では、そのような声が聞こえることがあっても<幻聴>と呼ばれる。』
ともいっています。

何やらトンデモ系の匂いがしてきたぞ?とお思いの方もいらっしゃると思いますが、しかし彼が言うように、私たち人間は実は意識より無意識によって動いているということを私たちはすでに見てきました。
そして、意識の起源についてはジェインズ以外にも同様の意見を持っている人たちがいるようなのです。

科学史家のモリス・バーマンは、ジェインズ同様に意識が誕生したのは約3000年前としながらも、西暦500年から500年ほどの間、意識は再び消滅したのではないかと言っています。
『その時代の人間の行動には、一種機械的でロボットを思わせる特性があった』
そして中世末期、意識は復活したというのですが、彼の見立てでは、それは鏡の発明と深くかかわっているというのです。

つまり、人間は鏡という道具の登場によって、自意識をゆるぎないものとした、というのです。
『自意識の増大と、鏡の製造量の増加、およびその品質の向上とが、時を同じくして急速に起こったことがわかる。』

また、漢字は3000年前より以前から4000文字ほどが存在していたが、「心」という文字が現れたのは3000年ほど前からという話も聞いたことがあります。


実証はなかなか難しい仮説だと思いますし、実際証明された話ではありませんが…しかしとても興味深い仮説ではないですか?

…想像してみてください。


≪3000年より前の世界では、人間には「意識」がなく、「自分は自分だ」とも思わず、「あいつより成功してやる!」とか、「私はどうして不幸なのだろう?」といった考えも抱かず、ただ内なる声に従って生きていた。≫

それは、いったいどんな世界だったのでしょう?

すでに意識を持ってしまった私たちには想像しきれない部分あると思います。

しかし、人間が意識なしでも会話し、社会を作り、働き、子を生み育て、知識や経験を世代を超えて伝え、思考し、生き、そして死んでいくことができたのだとしたら…

赤ん坊は意識を持っていないと言われています。

意識とは、親から子へ、人から人へと受け渡される一種の「知識」のようなものなのでしょうか?

つまり、<私>というものはあるとき誰かが「発明」し、それが会話や本を通じて広まり、鏡の登場によって信憑性を増し、急速に広まっていった、と。

現代においても、<私>という概念を学習したその瞬間から、人は意識を持ち、世界を<内と外>に分け、<自分>と<世界>を別のものとし、その<世界>の中の<自分>の在り方などについて思いを巡らせてゆく…。

…なんとなく、<自他の区別>を自明とする<私>という考え方は、ないほうがもしかしたら世界は良くなるのでは?と考えたくもなります。

「意識のない世界」を体験してみたいと思って止まない今日この頃です。


参考文献

ユーザーイリュージョン 意識という幻想
トール・ノーレットランダーシュ著
紀伊国屋書店刊

0 件のコメント:

コメントを投稿