2009年9月28日月曜日

哲学する科学:決断しない意識

前回は、「私たちの意識が見ている≪現実≫は、私たちの無意識が構築する≪仮想現実≫的なもの」(かもしれない)

というお話でした。

今回は、「私たちの≪行動≫も、意識ではなく無意識がほとんどすべて決めている」(らしい)
というお話です。



アメリカの実験神経生理学者ベンジャミン・リベットは実験によって、人間が何かに気がつくのには0.5秒かかるようだということを発見しました。

次に彼が実験で検証しようとしたのは、

「人が何かを「行う」とき、意識より先に無意識が動き出しているかどうか」

ということでした。

そして、結果は「Yes」という答えを示していました。


この実験については、様々な文献がこの実験とその結果を取り上げている有名なものです。ここに、簡単にその概要をご紹介しておきます。

<実験の概要>

人の脳を電気的に観測すると、自発的行為に先立つ「準備電位」というものを観測できる。
被験者は、自分の好きな時に手首または指を急激に曲げるよう指示される。
このとき、被験者は自分がいつそうすると決めたかについて、光の点が2.56秒で一周する時計のような装置を見て、光の点の位置を報告する。
同時に、被験者の脳に取り付けられた電極から動作の「準備電位」を観測し、その時間的関係を調べる。

結果、以下のような順序で物事は起きているということがわかりました。

1.動作準備電位の発生

2.被験者が「今動かすと決断した」という報告

3.実際の動作

これが意味するのは、「意識的な決断に先立って、脳は体を動かす準備を始めている」ということだと、リベットは考えました。


この衝撃的な結果を受けて、多くの研究者が追試をしたり、反論したりしました。

結果の解釈についても様々な意見が出され、決着はまだ見ていないようです。

確かなのは、リベットの仮説は完全に証明されてもいなければ、否定もされていないということだけです。

…なんだか「Xファイル」みたいな書き方になってしまっていますが、これは物証のない純粋な仮説ではなく、ほかの多くの科学者よりも実験を重んじる性質のリベットにより、繰り返された実験結果をもとに導き出された結論であるというところに重みがあります。


この実験結果は果たして、「魂の不在」を意味するのでしょうか?


そして私たち人間には自由意思はない、ということになってしまうのでしょうか?


リベット自身はどう思っていたのか、最後にご紹介して今号を締めくくりたいと思います。

実験結果がしばしば「自由意思不在や人間=機械説、魂の不在の証拠」「観察可能な物質だけが現実に存在するすべてであるとする考え方(唯物論)の証明」のように取りざたされるこの実験を行った張本人のリベットですが、彼は

「唯物論の考え方は、証明された科学的な学説ではなく、決定論的唯物主義は信念の体系である。」
として、魂の存在を支持するかともとれる主張を行っています。

そして、こんな解釈を提示しています。

「原子が単体では持たない性質を複数集まって獲得するように、神経細胞の塊である脳は、全体として単体では示さない特性を示す。その特性によって形作られる≪意識を伴う場≫とでもいうものがあるのではないだろうか。」

そしてこの理論をそれを証明する方法などについても考えていました。

また、先の実験結果についても、「人間の行動は無意識に端を発するが、意識はその決断を拒否することだけはできる。」としています。

すべてを実験により検証する前に、彼は現役を退いています。

しかし、彼が多くの実験で得た結果は、脳のメカニズム(特に意識と無意識がどのように役割を分担し、意識がどのようにたち現れてくるかについて)、理論だけではなく実質的なデータを示したという点で、先駆的なものでした。


21世紀。リベットの残した実験結果と衝撃的な仮説からさらなる答えを見つけるのは、後に続いている研究者たちなのでしょう。



参考文献

マインド・タイム 脳と意識の時間
ベンジャミン・リベット著
岩波書房刊

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