2009年9月28日月曜日

哲学する科学:意識と無意識の役割分担

「意識」に自由意思がないとすると、誰がそれを握っているというのでしょうか。


たとえば、


 今度の週末、ウィンドサーフィンに挑戦してみよう!と決めたのは誰?

 いつも僕の隣にいるこのひとと結婚することを選んだのは?

 明日の朝起きるとき、誰が二度寝の誘惑と戦うの?



脳の中の、実際に決定を下している部分には、名前があります。

それは「無意識」と呼ばれています。


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現代人であれば、無意識という言葉は聞いたことはあるのではないかと思います。

そして常識的には、だいたいこんな風に理解されているのでは?

≪私たちが意識せずに何かをしたり感じたりすることは、私たちの無意識が行っている≫

たとえば、

 無意識に頭をかいていることに気がつく

 無意識に手が動いて机から落ちるコップをつかむ

 車が突っ込んできて反射的に避ける

れらは私たちの「無意識」が行っていることだと、納得できると思います。

しかし、前回の「意識の帯域幅」で見たように、意識がリアルタイムに処理できることは非常に限られているとすると、ほかのさまざまなこともすべて「無意識」が決めているか、少なくとも決定に多大な関与をしていると考えざるを得ないのです。


 無意識が連休で遊びに行く場所を決める

 無意識が携帯のカメラで写真を撮る

 無意識がとっさの思いつきで目的地の一駅手前で降りてみる


さらに、(次回詳しく見ていきますが)意識が「やる」と決めるより脳の動作準備電位が先に発生することを突き止めたベンジャミン・リベットらによれば、人間の一挙手一投足すべて、まず「無意識」が起動し、「意識」はそれを追認するのみであると言っています。つまり、こんな感じに。


 無意識がボールを投げる(意識がそれを眺め、意識が「自分が投げると決めた」、と錯覚する)

 無意識が歩く(意識がそれを眺め、以下同文)

 無意識が転職を決める(同上)

 織田信長の無意識が天下を統一する(同上)

 オバマ大統領候補が「チェンジ!」という(同上)


そして、創刊直後に何号かに亘ってご紹介したように、人間と同じように動き考えるロボットを作ろうと研究をしているロボット工学の研究者、前野隆司は、

≪「無意識」とは脳というニューラルコンピュータの中の無数のプログラムの連携によって作りだされ、「意識」とはその中の、体験をエピソードとしてまとめ、記憶するのを補助するプログラムにすぎない≫

ということが、研究過程で分かってきたと言っています。


…どうやら、私たちの「意識」の謎に迫るには、それと対をなす「無意識」について、認識を改める必要がありそうです。


次回の『哲学する科学』では、無意識はどのようにして「意識」が見ている「現実」を作り出しているかについて、アメリカの実験神経生理学者、ベンジャミン・リベットの知見をご紹介したいと思います。


参考文献

ユーザーイリュージョン 意識という幻想
トール・ノーレットランダーシュ著
紀伊国屋書店刊

脳はなぜ「心」を作ったのか
前野隆司著
筑摩書房刊

マインド・タイム
ベンジャミン・リベット著
岩波書房刊

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