2009年10月25日日曜日

哲学する科学:未来の"情報処理革命"

『人類の言語の発明と多様な社会の発達は、地球の姿を大きく変える真の情報処理革命であった。』~セス・ロイド


さて、言語を獲得してからの"量子コンピュータ、宇宙"ですが、その後もいろいろな"情報処理革命"を起こしてきました。

それは全て、私たち人類が"発明"と呼んでいるものです。

<文字>、<数字>、<数字のゼロ>、<(人工)コンピュータ>、<(人工)コンピュータ・ネットワーク>、<(宇宙という量子コンピュータの中の)量子コンピュータ>…


私たち人類は、この"計算する宇宙"の中で最先端にいるのです。

~~~~

しかし、この地球上での情報処理の主役が変わる可能性は他にもあります。

私たち自身が生み出した、"(人工)コンピュータ"は、私たちの脳と同じように「考える」ようになるだろう、という人は少なくありません。

現れるのは、<鉄腕アトム>か<スカイネット>か・・・はたまた<人形つかい>?それとも<エージェント・スミス>?あるいは・・・<ドラえもん>?
(注:いずれも私が好きな映画や漫画にでてくる機械知性たちです。)

…友達になれるヤツらだといいですね。(^^)

いずれにしても、次の"革命"は、私たちが脳の中で行っているタイプの情報処理が、遺伝子の縛りを抜け出して加速するという段階なのではないかと考えます。

~~~~

ところで、<生命の誕生>以降の"情報処理革命"は全てこの地球上に限った話です。

でも、もしかしたら広い宇宙の別の場所には、もっと進んだ情報処理のかたちがあるのでは?


それは、私たちと同じような"生命体"なのでしょうか? それとも、まったく違う"何か"なのでしょうか?

それを知ることは、実際に目の当たりにするまで、叶わないでしょう。

しかしながら、宇宙の異なる場所で発生した"情報処理革命が生んだ何か"同士が接触するとき、それが"情報処理革命"の更なる飛躍を生む可能性は高いと私は思います。

~~~~

3号に亘って一緒に考えてきたように、宇宙を「情報を処理する巨大なコンピュータ」と捉えることで、宇宙の歴史はそのまま"情報処理革命"の歴史として捉えなおすことができます。

それらの革命は、より複雑な宇宙を作り出すためのステップであると同時に、それまでの長い長い計算の結果でもあります。

計算する宇宙が、生命を生みだし、私たち人間の複雑な社会や、文明、文化、思考をも作り上げてきたのです。


次回からはいよいよ、

「"計算する宇宙"の中で私たち人間は何をしているのか?」

ということを考えていきたいと思います。

(つづく)


参考文献

宇宙をプログラムする宇宙
セス・ロイド著
早川書房

ご意見、ご希望、ご質問は mailto:thinking-science@live.jp まで

2009年10月24日土曜日

哲学する科学:宇宙の"情報処理革命"史 その2

クイズの回答を送ってくださった皆様、ありがとうございました。

みなさん結構ちゃんと読んでくれているのだな、と身が引き締まる思いでした。

また、予想外の回答もあって逆に私が楽しませていただいたりもしました。


さて、私の方で用意していた正解は、<脳の誕生>でした。

しかしそう回答された方はいなかったので、代わりにその次の革命である<言語の誕生>と答えてくれた方を正解とさせていただきたいと思います。

実はロイドは「脳と中枢神経系の発達」を革命の一つとして挙げてはいますが、その前後の革命である性の誕生と言語の誕生をより重要なものとして位置付けているようでした。

なので、言語の誕生、ほぼ正解です!

さて、<言語の誕生>と回答された方はお二方いらっしゃいましたので、抽選が必要となりました。その方法ですが・・・

「私」と時計を使った乱数発生機が提示した数(「私」が「そうしようと思った」瞬間に時計を見た時の秒針の位置)を2で割った余りと正解者の方の応募順を比較して、一致した方を正解者にするという抽選、という方法をとらせていただきました。その結果・・・


プレゼント当選者は、M.Tさんとなりました。おめでとうございます!!


ちなみに他には、「文明」「文化」「思考」の誕生という回答も頂きました。

実は、私個人としては言語は思考や概念を伝達するための道具であり、文化・文明を表現する一つの手段と捉えていて、またこれらは全て<ミームの誕生>とも言い換えられると思っています。なので、全部まとめて正解としたいくらいでした。

「死」という回答もいただきました。

死は生命の誕生と同時に生まれたと私は理解していますが、情報という観点からすると、絶えず変化しながら受け継がれていく情報は、常に生まれては死んでいくものだとも言えるし、ある意味で不死性を持っているものだとも考えます。


(私の無意識の)思いつきで企画したクイズでしたが、いろいろ発見もあり、予想外の収穫がありました。

皆様、本当にありがとうございました!


~~~~

さて、性の誕生の次に起きた"情報処理革命"は、<脳の誕生>でした。


このメルマガでも以前取り上げましたが、脳とはある種のコンピュータだという考え方があります。

つまり<脳>の誕生は、宇宙というコンピュータの中に、別のコンピュータが生まれた歴史的瞬間だった!とも言えると思います。

その脳は遺伝子を使った計算が進むにつれて高度化して行きます。

そして現在、地球上で一番高度な脳は、(イルカだとする説もありますが ^^)たぶん人間の脳ではないかと思います。


その人の脳の能力を土台にして起きた次の情報処理革命が<言語の誕生>です。

言語によって、脳と脳が複雑な概念を伝え合い、協調して情報を処理することが可能となりました。

これは人間が作ったIT技術でいえば、インターネットの誕生と似ています。

ネットにつながる前、パソコンを使って買い物できるなんて、思いもよりませんでした。

コンピュータ同士がネットで繋がることにより、世界中のコンピュータが一つのコンピュータのように、情報や計算を分担し、今までできなかったことができるようになったのです。


それと同様にヒトの<脳>も、<言語>によって繋がることで、より高度な活動を行いはじめました。


ロイドはこう表現しています。

『言語のおかげで人々は広く分散させた形で情報を処理できるようになった。(中略)人々は新たな形で協力し合い、集団、群衆、社会、組合、(中略)民主制、共産制、資本制、宗教、科学… といったさまざまな形の分散情報処理が、独自の生命を獲得し、増殖して時とともに進化していった。』


・・・このメルマガを以前から読んでいただいている方は、「なにやらどこかで聞いた話と重なる部分があるな…」と感じるのでは?

そうです。少し前に"ミーム編"でお話しした<ミーム>とみなせる様々なものたちが、セスの話の中では「言語の登場によって生まれ、進化していったものたち」として取り上げられています。


"ミーム"論と"計算する宇宙"論の相関についてはまだ私の中で"計算中"なので、別の機会にお話したいと思います。

(つづく)


参考文献

宇宙をプログラムする宇宙
セス・ロイド著
早川書房

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哲学する科学:宇宙の"情報処理革命"史 その1

『量子コンピュータ上の宇宙でのシミュレーションは、宇宙そのものと区別がつかないのだ。』

『観測からでは量子コンピュータと見分けがつかないのだから、宇宙はまさに量子コンピュータなのである。』

 ~セス・ロイド

~~~~

ところで、「情報処理革命」と聞いて皆さんは何を思い浮かべますか?

<コンピュータの発明>でしょうか、それとも<インターネットの登場>でしょうか。

ロイドならこういうでしょう。

「それも情報処理革命だけど、この宇宙ではそれ以前にたくさんの"情報処理革命"が起きてきたんだ。例えば"生命の誕生"なんかも情報処理革命なんだよ。」


…この宇宙が巨大な情報処理装置だとするなら、その歴史は"情報処理手法の進化"という視点でも捉えられます。

では、"コンピュータとしての宇宙"の歴史について、順を追ってみていきましょう。

~~~~

最初の"革命"は、<宇宙の始まり>でした。

つまり、宇宙というコンピュータが"量子"を使って計算を始めた瞬間です。

宇宙は恒星や銀河を生みだしながらものすごい勢いで広がり、星々の中の原子を使って計算を進めていきます。

はじめは単純だった宇宙も、計算を進めるに従って重い元素を生みだし、星が死に、また生まれ、世界(=量子コンピュータの中のデータ)は次第に複雑さを増していきました。

―――

次の"情報処理革命"は、<生命の誕生>でした。

宇宙は誕生からおよそ100億年ほどかけて、生命を生みだしました。

生命は"遺伝子"を持ち、遺伝子は自分を複製するという特別な性質を持つ分子でした。

遺伝子の複製の仕組み<生命>は、遺伝子内部の情報によって性質が決まり、環境が生命にかける圧力(淘汰圧)によって、より生き残りやすい生命を生み出す遺伝子が生き残っていきました。

この時点では、生命の多様性は、時々起きるコピーの"失敗"によって生み出されるわずかなものだったと想像できます。

このときから宇宙は遺伝子という、原子や単純な分子より大きな情報の塊を使って、情報を処理し始めます。

―――

生命の誕生に続く情報処理革命である<性の誕生>は、宇宙の情報処理を劇的に効率化をしました。

何しろ、

「一世代ごとに少しずつ違う遺伝子の組み合わせを生みだす仕組み」

「遺伝子の多様性を爆発的に増加させ、環境の変化に強くする仕組み」

が同時にもたらされたのですから。

有性生殖による遺伝子の増殖は、遺伝子の完全なコピーを残すことはできませんが、世界中のいたるところで少しずつ性質の違うコピーを作り、生き残りにおいて単性生殖より遥かに有利でした。

余談ですが、ロイドはこの革命をこんな風に表現しています。

『性は楽しいだけでなく工学的方法としても優れているのである。』

…ロイド先生、なかなかの色男なのかもしれないですね?(笑)

~~~~

<生命>と<性>は、"計算する宇宙の歴史"という観点から見ても、革命的なことでした。


ロイドによれば、『生物が行っている遺伝的情報処理をすべて足し合わせると、人間が作ったコンピュータの情報処理量をはるかに上回り、しばらくの間は覆されることはない』というから驚きです。


しかし、こんな風に思う人もいるかもしれません。

「コンピュータは意味のある仕事をしているけど、"遺伝情報の情報処理"って何か意味があるの?」

・・・それは、人間はなぜ生まれてきたの? それに何に意味があるの? という意味とも取れますね。


この問いへの答えは、このシリーズの最後で一緒に考えましょう。


さて、ここで突然問題です!

次に宇宙で起きた"情報処理革命"は、何だったと思いますか?(^^)

―――正解者の中から抽選で1名様に、今までこのメルマガでご紹介した本の中うちご希望の1冊をプレゼントしちゃいますので、以下のアドレスまで奮ってご応募ください!

(つづく)


ご意見、ご希望、ご質問、クイズの回答は mailto:thinking-science@live.jp まで


参考文献

宇宙をプログラムする宇宙
セス・ロイド著
早川書房

2009年10月20日火曜日

哲学する科学:量子コンピュータ

"量子機械工学者"セス・ロイドは、『宇宙は巨大な量子コンピュータ』だと言います。

では、コンピュータなら何を計算しているのでしょうか?

ロイドは、『宇宙そのもの』を計算している、と言います・・・


この謎めいた言葉の意味を考えてみる前に、まずは『量子コンピュータ』とは何か、について簡単に理解した気になっておきましょう(笑)


~~~~

ここで一つ豆知識(ぜんぜん実用的ではありませんが…)

普通のコンピュータにやらせると膨大な時間がかかる計算も瞬時に答えを出すことができるのが量子コンピュータの特徴の一つであり、もし量子コンピュータが実用化されれば、どんな暗号も簡単に解けるようになってしまい、情報社会のセキュリティが崩壊するとも言われています。

セス・ロイドは、実際に量子コンピュータが実現可能であることを示し、世界初の量子コンピュータの開発にも関わりました。そして、実際に実用化へ向けての研究
も始まっています。

しかしご安心ください。

量子コンピュータが実用化されるにはまだ多くのハードル超える必要があるようなので、インターネットのショッピングもまだしばらくは安心して続けられそうです^^)

~~~~


ご存知の方もいるかもしれませんが、宇宙はコンピュータだ!というアイディアは、実は数十年前からありました。

しかし、宇宙の複雑な振る舞いを完全にシミュレート(まね)するには、現在一般に使われているコンピュータでは不可能だということが分かってきています。


量子コンピュータとは、私たちが使っているコンピュータと同じく、計算をするしくみ(機械)です。

しかし、普通のコンピュータは情報の最小格納単位として、0か1かの"ビット"を使いますが、量子コンピュータは0でもあり1でもありえる"量子ビット"を扱います。

例えば、普通の人は男か女かのいずれかですが、"量子人間"は、男でもあるし女でもある、ということもあり得るのだ!

でもって、「男性100人にアンケート」と「女性100人にアンケート」が、100人にアンケートするだけで完了してしまうという・・・


・・・喩えが悪かったかもしれませんが・・・ (^^;)


ともかく、"量子"というのは私たちの常識では"どっちかだろ?"と考えたい2つ以上の状態の"どっちでもあり得る"という状態をとる性質を持つ、ということなのです。


"量子"については、これまた哲学的な含みを持っている部分があるので、別のシリーズとしてまた書いてみたいと考えています。

が、今回のシリーズでは"量子"はわき役で、"宇宙はコンピュータだ"という話が主題なので、ひとまずは以下の点だけ理解しておいてください。


ポイント→ 宇宙をミクロのレベルまで掘り下げると"量子"という概念でしか今のところ説明できない。"量子コンピュータ"は、宇宙の振る舞いを"量子"レベルで完全にシミュレートできる。

~~~~

『量子コンピュータ上の宇宙でのシミュレーションは、宇宙そのものと区別がつかないのだ。』~セス・ロイド


セス・ロイドは量子コンピュータが、量子からできているこの宇宙の振る舞いを完璧にシミュレートできることを証明することに成功したといいます。

そして・・・気がついてしまったらしいのです。

量子コンピュータと宇宙の振る舞いが全く同じということは、宇宙そのものも量子コンピュータである、ということに。。。

(つづく)

ご意見、ご希望、ご質問は mailto:thinking-science@live.jp まで


参考文献

宇宙をプログラムする宇宙
セス・ロイド著
早川書房

哲学する科学:宇宙は巨大なコンピュータ?

2週間のご無沙汰でした。今回からいよいよ、新章のスタートです。


みなさんは『銀河ヒッチハイクガイド』という映画をご存知ですか?

コメディ映画の皮をかぶった非常に哲学的(と私は見た)映画なのですが、、、

その映画の中で、<地球は地球外生命体がある問題を解くために作った、巨大なコンピュータである>というアイディアがでてきます。

そしてそのコンピュータが解くべき問題とは「生命の、宇宙の、その他もろもろについての答え」というものなのですが・・・(笑)

果たして、その答えは出たのでしょうか?

気になる人は是非、見てみてください。(^^)


さて、その映画を見てからしばらく、私は何を見ても、<<計算中>>というテロップが視野の片隅に見えるようになってしまいました。

なぜなら、もしかしたら映画で語られていたように、地球は誰かが作ったコンピュータで、私たち人間も、動物たちも、風も、大地も、雲も、この地球上のあらゆるものが、ある計算の一部なのかもしれない・・・と、結構真剣に考えてしまったからです(汗)


もっとも、そういう可能性はないわけではないと感じた私ではありましたが、眺める景色、人ごみ、その他もろもろの上に脳内で<<計算中>>のテロップを重ねて悦に入る以上のことは何もできず、そのうちそうした感覚も薄れていってしまいましたのですが。。


しかし、科学の最先端で量子情報理論を研究するセス・ロイドの本を読んで驚きました。

彼にこの話をしたら、きっとこう答えると思います。

「その通り!地球はコンピュータさ。ただし正確には、地球はコンピュータの"一部"で、実際にはこの宇宙全体がコンピュータなのさ。」


セス・ロイドは、マサチューセッツ工科大学の教授であり、量子力学を利用した計算機、「量子コンピュータ」のパイオニアです。

そして、彼は著書「宇宙をプラグラムする宇宙」の中でこう言っています。

『宇宙は量子力学の法則に支配されているので、宇宙は本質的に量子力学的なやり方で計算していて、そのビットは量子ビットである。結果的に、宇宙の歴史は、今も続けられている巨大な量子計算ということになる。宇宙は量子コンピュータなのだ。』~セス・ロイド

(つづく)


参考文献

宇宙をプログラムする宇宙
セス・ロイド著
早川書房

ご意見、ご希望、ご質問は mailto:thinking-science@live.jp まで

2009年10月4日日曜日

哲学する科学:号外(ぶっちゃけタイム)

皆様、いつもご購読ありがとうござます。

今回は本題を少しお休みして、ざっくばらんな裏話&本音トークをさせてください。


「哲学する科学」発刊までの道のり:

直接のきっかけは、実は私の父が「携帯用のメルマガを出してみたいのだ!」というので、

読者はどのくらい集まるものなのか?発行の仕方は?

などの疑問に答えるため、

「ではまずは私がやってみるか!」ということでした。

で、何か書く題材がこの私にあるのか?

と自問してみたところ、

(最近いろいろと読み漁っている、ああいった話について書けばいいんじゃないか?)

と、心の中で声がしました。

「ああいった話」とは、意識の謎的な話や、ミームという興味深い存在を仮定した上での新しい人間観
といった話でした。

すると、私の心の中で別の声が言いました。

(おお!それはいいね!うん。ぜひやってみるべきだ!)


私事で恐縮ですが、ここ数年来、アイデンテティの危機といいますか、自分の人生の先行きに不安を感じており、どういう未来を目指すべきか、自分にとって一番大切なものは何か、自分とはどういう人間なのか、といったことを事あるごとに考える日々でした。

そしてともすると、拠りどころを失い、自暴自棄になりかねないような自分を感じていました。

そんな私とって導きとなってくれたのは、何冊かの本でした。

だから私の心のある部分は、「やってみよう、やってみるべき」と言ったのだと思います。


私にとって助けになったのだから、きっと他の誰かにも助けになるに違いない!

そうして、不特定多数の方に読んでいただく文章など書いたことのない私が、こうしてメルマガを書くようになったのでした。

とはいえ、私の文章力、構成力などの不足により、今ひとつ、ふたつ、みっつ・・・わかりにくく、面白くないというものになってしまっているのではないか?と不安でもあります。

要点を分かりやすく、しかも読み物として面白く、だれでも読めて、私が衝撃を受けたポイントの本質を気がつくと理解している・・・といったものを目指してはいるのですが・・・まだまだ、修行が足りないようです。

今後少しずつ、文章力、構成力アップし、飽きない!面白い!ためになる!メルマガを目指して精進してまいりますので、どうか温かい目で見守ってください。よろしくお願いします!



今後の「哲学する科学」:

実は最近、(始めた以上はある程度のペースで書き続けなければ・・・)といったプレッシャーが湧き上がってくることがあります。そして、(メルマガを書くために新しい本を読まなきゃ)と思ったり、そう思うことが時に苦痛に感じられたりすることも・・・

その一方で、(もし評判が良いようなら、いずれ編集しなおして、書籍として刊行してもいいかな・・・)などと、勝手に分不相応な夢を膨らませてくれる心もあったりします。


しかしながら、やはりメルマガ「哲学する科学」の目的は、「私を変えた科学的<私>観」を、できる限りわかりやすく、一人でも多くの人にお伝えすることであり、決して本を出したり、たくさん書くことが最終目標となってはいけない、と自戒しているところであります。


なので、今後、いままでより発行ペースが落ちるかもしれません。

が、書くときはじっくりと腰を据えて書きたいと思っておりますので、今後もぜひ引き続きのご購読をよろしくお願いいたします。

皆様が読んで下さることが「哲学する科学」の原動力であり、皆様の一部としての私がこの世界の理解を深め、その理解を皆様にお返しすることで、皆様の世界に関する理解もより深まってゆく… そういうメルマガでありたいです。


2009・10・04

哲学する科学 発行人守本憲一

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この前ご紹介しましたが、今一度・・・

体一つで海外に飛んだある男の冒険の物語(実話)

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「ああ、あのとき全てを捨てて外国へ行っていたら・・・」

たった一度の人生。

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2009年10月3日土曜日

哲学する科学:ブラックモアの放ったミームと私

ここ数号の「哲学する科学」では、ブロディとブラックモアという二人のミーム論者による、ミーム論についてご説明しました。

そこで論じられていたことがらは、以下のようなものでした。


「ミームとは文化の遺伝子である。」

「ミームとは、私たちの心に入り込み、私たちを操るウィルス的側面を持っている。」

「ミームとは、私たちの心を形作る素材である。」

「私たちのミームは、私たちである。」

「自己とは、ミームが作り出す錯覚である。」

「自己が錯覚であることを自覚することで、人はよりよく生きられる。」


ミームが科学として真剣に研究され始めてからまだ、20年足らずです。

メンデルが遺伝学を研究し始めたのは19世紀半ばでした。そのメンデルは自らの発見した法則が認められる前にこの世を去り、ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を発見したのは20世紀半ばのこと。実にメンデルの研究から100年後でした。


生命現象を駆動する自己複製子、Gene(遺伝子)は太古の地球で生まれ、環境の圧力によってそれ自体とその乗り物である生命体を、自然選択によって進化させてきた。

文化と心を駆動する自己複製子、Meme(ミーム)は遺伝子進化が生み出したヒトの祖先の生命体の脳の中で生まれ、環境の圧力によってそれ自体とその表現系である人間の文化や心を進化させてきた。


これらはすべて、仮説です。

生命現象において遺伝子が主役であるというのも、一つの仮説に過ぎません。


また、遺伝子とのアナロジーにこだわるあまり、DNAに対応するミームの実態を探すことにこだわりすぎるより、文化と心のダイナミクスに着目し、遺伝子とは違った法則を探すべきであるようにも思えます。

しかし、ミームに関する諸説を巡る旅を通して私が得たのは、紛れもない、まったく新しい人間観、自分観でした。

そういう意味では、ミームは科学としてよりも、哲学的により重要な、思考ツールであるともいえるのではないでしょうか。

・・・少なくとも、現時点では。


参考文献

ミーム・マシーンとしての私
スーザン・ブラックモア著
草思社刊

ミーム ~心を操るウィルス
リチャード・ブロディ著
講談社刊

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哲学する科学:≪自己≫の呪縛からの離脱

本編に入る前にまた一つ、私のお気に入りのメルマガを紹介します。

先のことなど考えず、とりあえず海外に飛び出したある男性の手記・・・なんだか、勇気をもらえますよ!

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『今や、私たちが誰であるかについて根底的に新しい考え方が得られた。私たちの一人ひとりは、人体と脳という物理的な機構の上を走る巨大なミーム複合体――ミーム・マシーン――である。』 ~スーザン・ブラックモア


私たちの脳は遺伝子が生み出した複雑な情報処理装置(ハードウェア)であり、その機械の上で実行される複雑なプログラムがミーム複合体であり、そのプログラムは脳の上で実行されながらも新しいプログラム(ミーム)を外部から取捨選択し、日々変異しながら実行され続けている・・・

人間は生物学上、遺伝子淘汰によって生み出されたという点や体の各部の構造などから他の地球上の生物たちとそれほど大きな差異はないが、巨大な脳と、その脳の中で生まれた第二の自己複製子、ミームによって生み出される複雑な行動や文化を持つという点で大きく異なります。

特に、私たちが感じる≪私≫という感覚は、≪自己≫というミームの複合体が生み出すものであり、そういう意味で私たちは「ミーム・マシーン(ミーム処理装置)」であり、その装置の上で動いているソフトウェアこそ私たちであると考えるならば、「私たち=ミーム」という図式も成り立ちます。

これが、ブラックモアの「哲学」であり、彼女がミームを研究して持つにいたった「信念」です。



余談になりますが、考えてみると少子化問題や性同一性障害など、人間を遺伝子の乗り物とだけ考えると、本来遺伝子が作った脳が遺伝子に反逆しているようにも見えます。

脳というハードウェアだけの問題として考えるなら、「子供を欲しがらない脳」や「同性に惹かれる脳」などが、遺伝子の組み合わせから生まれてきて、生き残りに有利でないが故に淘汰されるのが自然なはずです。

しかし、≪子供はいらない≫≪子育てめんどくさい≫≪自分の人生は私のもの≫≪仕事に生きる!≫といったミームの複合体や、≪異性愛だけが愛ではない≫≪前世での縁≫≪生物学的な愛を超えた関係≫といったミームの複合体などが脳の中で生まれ、他のミームと結びつくことで、ミーム同士の競合状態を勝ち上がってくる場合もあると考えると、遺伝子だけで説明するよりもしっくり来る気がしませんか?


話を戻しましょう。

ブラックモアはその著書の最終章でこのように述べています。


『もしミーム学を真剣に受け止めるなら、進化的な過程に飛び込み、それを止め、それに指図をし、あるいはそれに対して何かをする誰かあるいは何かが存在する余地はありえない。あるのはただ、終わることなくいつまでも続けられる遺伝子とミームによる進化的過程だけである―――そして見つめるものは誰もいない。』


・・・絶望的な話に思えるかもしれません。


しかしブラックモアは、ミーム学の考え方を武器に≪自己複合体≫の支配から抜け出すことができれば、人間は『罪の意識、恥、自信喪失、失敗への恐れなどが薄れていき、より良き隣人となっていく。』と説きます。

実際に私は、ブラックモアの本に含まれる≪ミーム≫(ミームに関するミーム)に「感染」することで、以前より自分を客観視できるようになり、些細なこと(やそうでないと思えること)で悩まないようになってきています。


・・・ミームに関する知識の広まりは、人類の変革を促す可能性がある・・・


私は、そう信じています。


参考文献

ミーム・マシーンとしての私
スーザン・ブラックモア著
草思社刊

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哲学する科学:自己複合体

前回は、ミーム学的に考えると、「私」というのは≪自己≫というミーム複合体である、というお話でした。

今回はこの≪自己≫というミーム複合体、自己複合体についてもう少し考えてみましょう。

~~~~

ブラックモアは言います。

『ミーム複合体とはお互いにとって有利であるために一緒になっているミームの集団である。複合体内のミームたちはひとたび一緒になると、自己組織的、自己防衛的な構造を形成し、それが集団とうまくやっていけるミームを歓迎し保護する一方で、そうでないものを追い払う。』

つまり、すべての≪宗教≫、≪イデオロギー≫などをはじめとするミーム複合体は、新たにやってくるミームに対して、自らを強化するものを迎え入れ、そうでないものを排除することで、より強力になっていった考えられるわけで・・・。

そして≪自己≫もまた、ミーム複合体として同じことをしてきた、と。

≪私は私である≫という考えがいつ生まれたのかは定かではありません。

しかし、ひとたび誕生すると、それは強力に他のミームの複製を助けた、というのが、なぜ≪自己≫がこれほど蔓延しているのかの答えだ、というのがブラックモアの考えのようです。


たとえば、「○○をxxする」という行為だけではなかなか真似してもらえませんが、「私は○○をxxするのが好きだ」と言うと、より関心をひかれますよね?

なぜなら、それに同意できる場合は「私も・・・」ということになり、それはすなわち≪私は○○をxxするのが好き≫というミームのコピーを意味する。

≪私は○○をxxするのが好き≫というのは実はミーム複合体であり、≪私は私≫というミームを含んでいます。

逆に言うと、≪私は○○をxxするのが好き≫というミーム複合体は、≪私は私(自己)≫ミームを含むさらに大きな≪自己複合体≫の一部でもあり、≪自己≫というミームを核として、複製されやすいより小さなミーム複合体に支えられ、ほとんどすべての人の心の大きな部分を占めている、という状況を、そのコピーされやすく、想起されやすい性質がゆえに引き起こしている、と考えられます。


『占星術に関する知識とそれについておしゃべりする傾向を蓄えることができる脳は存在するが、そのうえに信念を「もつ」自己は存在しない。毎日ヨーグルトを食べる生物学的な生き物は存在するが、そのうえにヨーグルトを愛する内面の自己は存在しない。ミーム世界がますます複雑になるにつれ、自己もそれにならう。』 


そして私たちは、年中「私」について考え、「私」の過去や「私」の未来、「私」のシアワセやら「私」の老後やら、「私」の他人から見た姿やら「私」がどれだけ素晴らしい人間か、またはそうでないか、など、およそ考えなくてもよい無数の「私」考を繰り広げてしまう・・・≪私(自己)≫というミームの強力さ故に。


『自己複合体が成功しているのは、それが真実だからでも優れているからでも、美しいからでもない。それが私たちの遺伝子を助けるからでもないし、私たちを幸福にするからでもない。(中略)(逆に)これこそが、ときに絶望的に不幸で、混乱した嘘としての人生を生きる理由ではないかと私は言いたい。ミームたちが私たちにそうさせてきたのである。――なぜなら、「自己」はミームの自己複製を助けるからである。』 ~スーザン・ブラックモア


~~~~

では、≪私≫に囚われることが≪私たち≫を≪不幸≫にするのであれば、いったいどうすればよいというのでしょうか?

・・・次回は、ブラックモアによるミーム論の最終回です。


参考文献
ミーム・マシーンとしての私
スーザン・ブラックモア著
草思社刊

ご意見、ご希望、ご質問は mailto:thinking-science@live.jp まで

哲学する科学:「私」という究極のミーム複合体

前回は、私たちの脳の中の、ミームの組み合わせが私たちを規定しているのではないか?というお話でした。

今回は、ミーム学を使って、以下のような哲学的な問いにどう答え得るかを、ご紹介しましょう。


「私」とはいったい何なのか?

~~~~

ブラックモアはまず、物理的な体とは分離した「私」という実体は確認不能であるがゆえに存在しない、というところから議論を始めています。
確認できたらそれは物理的な実体の一部であるし、物理的でない存在が物理的な実体である体に作用する方法が理解できないとして、「私」は物理的な体の中のどこかにあると推論しています。

物理的な体のどこかに「私」がいるのであれば、それは脳の中であると思われますが、「私」=「ニューロンの塊(物理的な脳)」という説にも異を唱えます。
つまり、脳はハードウェアにすぎないということを言っています。(これは暗に「私」とは脳というコンピュータの中のソフトウェアであると言っていることになりますね。)

しかし、ブラックモアはこの脳の中の「私」の存在にも疑問を呈します。

ここで一つ、ブラックモアに倣って実験をしてみましょう。


→このメルマガの中から、≪存在≫という単語を探してみてください。




見つかりましたか?

さて、あなたが上記の指示を読んでそれを実行した(あるいはしなかった)とき、何が起こったのでしょうか?



細かいことを言えば、「あなたは画面上の文字を解読し、言語中枢で意味を解釈し、実行するかどうか決断し・・・」と、長々書くことができます。

が、ブラックモアは『指示とあなたの脳と体が与えられたとき、動作の全体が自らを生みだした』のだといい、そこに「私」の存在は不要であると説きます。

そして、脳の中に私という主体が存在し、それが見るためのスクリーン(劇場)が脳の中に存在するという学説についても、その論理を採用するなら、脳の中の自分はさらに脳の中の自分を持つ必要が出てきて、さらにその中に・・・という矛盾をはらむので、採用できないとしています。

さらに彼女は、このメルマガでも以前取り上げたリベットの実験を引用し、「私(意識)」が決断する以前に脳は指導しているという実験結果から、「私」が全てを決定しているという感覚は錯覚であるという学説を支持しています。

では、「私」がもし錯覚であるなら、なぜそのような錯覚が必要なのでしょうか?


ブラックモアはまず、既存の「遺伝子淘汰上有利だったから」という説の検証から入ります。
以前紹介した前野学説(「私」はエピソード記憶をする小さなプログラムが便宜上発生させている)もここに含まれるかもしれませんが、「私」をでっちあげることによって、ヒトという種にとって有利なことがあれば、「私」を助長する遺伝子は繁栄し、「私」も繁栄するというものです。

一見、これは正しいように思われますが、ブラックモアは「このような作用をもたらすためだけなら、私たちの「体」や他人の「体」がどうふるまうかをモデル化する脳を持てば十分だったはずで、『物事を信じ、行い、望む、生涯のわたって持続する内なる自己についての偽りの物語』を捏造する必要はなかったのではないかといいます。


では、ブラックモアが考える、「私」の正体とは、どんなものなのでしょうか?

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ミームは私たちの脳の中で複製され、変異し、保持され、さらに複製されていきますが、ミームは他のミームと結びつくことで、より強い「感染力(複製されやすさ)」を獲得していきます。

複数のミームが結びついたものを「ミーム複合体」と呼びます。(例えば≪温暖化を防ぐために行動しよう≫というミームは無数のミームが含まれていて、その組み合わせが強力な「複製されやすさ」を生みだし、このミーム複合体を強力なものにしています。)

そして、ブラックモアは「私」はその中でも最も強力な「ミーム複合体」である、と説明しています。


『自己(私)は巨大なミーム複合体―――おそらくすべての中でもっとも狡猾でもっとも広く蔓延しているミーム複合体である。』 ~スーザン・ブラックモア


つまり、ミーム学的にいえば、「私」という錯覚は、ミーム淘汰上有利であるがゆえに生まれ、生き残り続けている、ということです。


次回、もう少しこの≪自己≫というミーム複合体について、考えてみましょう。


参考文献
ミーム・マシーンとしての私
スーザン・ブラックモア著
草思社刊

哲学する科学:心の遺伝子、ミーム

私たち人間は他の生き物とどう違うのか?

それは、人間の模倣能力によって生まれたミームが生み出す、多様な文化を持っていることである。

≪国ごとの文化、風習≫、≪貨幣経済≫、≪宗教≫、≪映画≫、≪文学≫、≪IT社会≫、≪温暖化ガス排出権取引≫、≪ブログ≫、≪メルマガ≫…

これらは全て「ミーム」である。

前回はそういうお話をしました。


最近メルマガをご登録いただいた皆様は「ミーム」とは何か、ご存じない方も多いかと思います。詳しくは、バックナンバーをお読みいただくのがよいかと思います。

バックナンバーhttp://m.mag2.jp/b/M0094525(「ミーム編」は8月31日号以降の4号です。)

さて、今回からはいよいよミームについてのお話の核心部分に入っていきます。

*-*-*-*-*-*-*-*

地球上のあらゆる生命現象は、太古の海に生まれた遺伝子という自己複製子の複製と変異が生み出している。

全ての生き物は遺伝子の乗り物(方舟)であり、人間を除くほとんどの生き物の行動は、気の遠くなるほどの時間の中で自然淘汰によって進化してきた遺伝子に還元できる。

そして、私たち人類が持つ「文化」はヒトの祖先の脳に生まれたミームという第2の自己複製子の複製と変異が生み出している。

ミームはヒトの脳から脳へ人によってコピーされ、急速な変異を繰り返しながら、無数のヒトの脳という環境の中で淘汰され、進化してきた。その表現系がヒトの文化である。

…と、ミームについて今までの話を(いままで使ってない表現も使って)ざっとまとめるとこんな具合でしょうか。

では、私たち一人一人にミーム理論を当てはめて考えると、どういう仮説が導き出されるのでしょうか?


私たちは個人レベルでは、例えば以下のようなミームを運んでいると考えることができます。

≪将来の夢≫、≪家族への愛≫、≪お気に入りの小説に含まれるメッセージ≫、≪経済観念≫、≪政治的思想≫、≪友達との付き合い方≫、≪休日の過ごし方≫、≪仕事への姿勢≫、≪恋人の愛し方≫、≪趣味≫、≪人生観≫、エトセトラ、エトセトラ。

私たち人間は、生まれてきてからずっと、こうしたミームを私たち自身の外部から取り込み、それを取捨選択しながら生きてきました。

そうした営みの中で、時として強力なミームが生み出され、急速に多くの人の脳の中にコピーされ、(例えば≪コスプレ≫のように^^;)「文化」として認知されていくわけですが・・・

しかし日々私たちの中で行われている膨大な「ミーム処理」(考え事や、友達とのおしゃべり、テレビを見たり、芸術を鑑賞したり…)によって私たちの頭の中に生まれる無数のミームの変種たちは、ほとんどがコピーされることなく、消えていきます。

ですが結果として、私たちの脳の中には、無数のミームが存在しています。そして、それらミームの組み合わせが私たちの個性を形作っている、ともいえるかもしれません。

ならば、ミームは私たちの「心の素材」といえるのではないでしょうか。


想像してみてください。

私たちが脳の中に蓄え、捨てることなく少なくともしばらくの間は保持しているミームたちが、私たちの心の在り方を決定している・・・(例えば≪幼少期に見た母の背中≫、あるいは昨日読み終えた小説の主人公の≪鮮烈な生きざま≫など)

もちろん、遺伝的に温厚であったり怒りっぽかったりということもあるかとは思います。しかし、私たち人間を特別なものにしているのは、自らの中にミームを蓄え、他者とミームをやり取りし合い、結果として自分の中のミームの組み合わせを変化させていくことで、自分の≪信念≫や≪生き方≫といったものを形成していくという側面なのかもしれません。


つまり、「文化の遺伝子」であるのみならず、ミームは私たちの「心の遺伝子」でもある、と考えられるのです。



『私たちのミームは私たちなのである。』 ~スーザン・ブラックモア



参考文献

ミーム・マシーンとしての私
スーザン・ブラックモア著
草思社刊

哲学する科学:奇妙な生き物

前回は、リチャード・ブロディのミーム論について書きました。

今回からは、スーザン・ブラックモアの「ミーム・マシーンとしての私」で説明されている、ミームおよび私たち人間の正体に関するお話に入っていきます。


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その前に一つ、お勧めのメルマガをご紹介させてください。
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『人間は奇妙な生き物だ。私たちの体が他の生き物とまったく同じように自然淘汰によって進化したのは疑う余地はない。けれども、私たちは多くの点で他の生き物たちと違っている。』 ~スーザン・ブラックモア

この意見に納得のいかない人もいるかもしれません。以前は私もその中の一人でした。
なぜなら、人間とそれ以外の生き物はどちらも同じように遺伝子の情報をもとに作られており、結局人間も動物の一種だし、「科学的に」人間の解明が進めば進むほど、人間と動物を分け隔てる壁は崩れていき、違いなどないという結論に達するのだと、考えていました。

ただそれはごく最近の一部の人の考え方で、人間はおそらく有史以来ずっと、なぜか「人間は他の動物とは違う!」と信じてきました。
確かに私たち人間は高度に知的で、他のほとんどの動物のできないことができます。道具を作り、自分たちの都合のいいように生活環境を作り変えることさえできます。地球で最も優秀な主として地球を代表しているとさえ感じている人も多いでしょう。

しかし、本質的に、それらの違いを生みだしているものは何に帰結するのか?

ブラックモアは、「それはミームである。」と説きます。


ミームは、長い遺伝子進化によって生まれた人間の祖先がある時「模倣する能力」を獲得した瞬間に生まれたとブラックモアは言います。この特殊な遺伝形質は、他の人間の行動をまねする能力でした。

ちょっと想像してみましょう。

たとえば、誰かが新しい効率的な狩りの方法を編み出したとします。模倣する能力がなければ、その方法は遺伝的には受け渡されないので、編み出した人が死ねば失われてしまいます。しかし模倣能力によって、その技は遺伝的手段によらず、人から人へとコピーされていきます。

コピーされるものは多岐にわたりました。

食べられる草を見分ける方法、疲れない歩き方、異性を引き付ける効果的な方法の数々・・・
それらの多くは遺伝子の生き残りにとっても有効でした。よって、模倣能力の高い個体はそうでない個体に遺伝子淘汰上有利であり、人間は進化の過程でますます模倣の上手な種族になっていきました。



≪土器・石器・鉄器≫、≪言語≫、≪農耕≫、≪共同体≫、≪自然崇拝≫、≪仲間意識≫、≪武器≫…

全て誰かが発明し、それがコピーされることで広まってきたものです。

≪王≫、≪武器≫、≪戦争≫、≪自己≫、≪自己正当化≫、≪民主主義≫、≪社会主義≫、≪幸福≫、≪善悪≫、≪貨幣≫、≪経済≫、≪哲学≫、≪法律≫、≪科学≫、≪市場原理≫、≪相対性理論≫、≪ガイア仮説≫、≪夢≫、≪希望≫…

これらはすべて、他の生き物が知らずに生きている、人間を人間たらしめているものたちです。

これらはすべて、情報です。書物や芸術、建造物などの形で表現されることもできますが、基本的には人間の脳の中にあり、人から人へ伝えられます。そして、そのコピーされることによって複製され、時に変異する情報を「ミーム」と呼ぶのであれば、

人間を人間たらしめているのはミームである、ということになります。


とすると、ミームがどうコピーされ、どう変異するかを理解すれば、人を人たらしめている全てがどうして今の形になっていて、これからどうなっていくのかということも、わかるのではないでしょうか。

私は、そう考えてミーム学の発展に非常に高い期待を寄せています。


次回は、ブラックモアがミーム論から導いた、新しい人間観についてお話します。


参考文献

ミーム・マシーンとしての私
スーザン・ブラックモア著
草思社刊

哲学する科学:心のウィルス、ミーム

『警告! この本にはマインド・ウィルスが潜んでいる。感染したくなければ、この先を読まないほうがいい。ウィルスに感染することにより、あなたの思考が多かれ少なかれ影響を受けるかもしれない。あるいは、あなたの現在の世界観が、がらりと変わってしまうことさえあるかもしれないのだ。』 ~リチャード・ブロディ

リチャード・ブロディ著「ミーム 心を操るウィルス」の冒頭の言葉です。

これはそっくりそのまま、このメルマガにも当てはまります。

しかしそれは特別なことではありません。私たちが何かを見たり聞いたりする時、私たちは多かれ少なかれ何らかの影響を受け、少しずつ変異しているのです。



ブロディは、ミームを以下のように定義しています。

『ミームとは、人間の行動を司るコード(プログラム)である。』

つまり、人間の脳はある種のコンピュータのようなものであり、プログラムを追加、変更することでその振る舞いが変わる、ということを言っていると理解できます。

そして、脳の振る舞いの変化は、脳によって制御される人間の振る舞いの変化であり、人間の集団である社会の変化を引き起こします。


『私たちが持っている基本的で根本的な仮説が変わるとき、パラダイムシフトが起きるという』 ~リチャード・ブロディ

ブロディは、ミーム理論が「私たちの生活と文化に対する見方を根本から変えてしまう力を持っている。」と示唆しています。そして、なぜわざわざ見方を変える必要があるのか、ということについて、≪地球は平面ではなく球である≫という考え方や、≪宇宙が地球の周りをまわっているのではない≫という考え方を例に出し、「新しい見方の方が納得がいくから」「世の中の動き方を説明するのによりよい理論であるから。」と説明しています。

彼はこうも言っています。

『ミームはあなたの人生を動かすことができ、現実に動かしている。おそらくは、あなたが気が付いているよりもはるかに大きく動かしている。』

そのようにミーム学が私たち人間にとって、よりよく世界を理解するための強力な理論となることを信じつつ、ミームの人間に対する影響力をとても重く見た彼が著書で最も伝えたかったのは、以下のような事柄でした。


『私たちは、私たち自身をプログラムするミームを自ら、意識的に、選択する必要がある。そうしなければ、ミームを熟知した一部の人間が設計した人工的なミームによって、思い通りにプログラムされてしまうかもしれない。』


…背筋が寒くなるような話ですね。

しかし私は、このブロディの見解には100%同意はできません。

ブロディの主張で引っかかるのは、「悪いミームが広がるのを食い止めるために、よいミームを広めよう」という部分です。いったい誰が、ミームの善し悪しを決めるというのでしょう?ブロディは彼の著書に書かれていることが「よいミーム」であり、人心を操作する「悪いミーム」を駆逐するために共に闘おう!と言っています。

ただ、ミームに関する知識を持つことで、心に取り入れるミームの選択に変化が起きることは確かであり、そういった意味で彼の著作(およびこのメルマガ)は大きな力を持っていると言っていいと思います。

ミームの振る舞いは確かにウィルスに似たところがありますが、ウィルスと違う点は、「それそのものが私たちの心を構成していると考えられる」という点です。
そして、地球という天体上の生態系において遺伝子たちが生き残りゲームを繰り広げているのと同じように、60億の人間の脳を舞台にミームたちがやはり「生き残ったものが勝者」というルールに従ってゲームを繰り広げている、という説明が、もっとも真実に近いのではないか、と私は考えます。


私はブロディの著書によってミームを知り、「パラダイムシフト」を経験しました。

しかしその数ヶ月後、スーザン・ブラックモアの「ミーム・マシーンとしての私」を読んで、私の世界観はさらに大きく転換することになります。

次号は、そのブラックモアの語るミーム論の世界にご案内いたします。


参考文献

ミーム ~心を操るウィルス
リチャード・ブロディ著
講談社刊

ミーム・マシーンとしての私
スーザン・ブラックモア著
草思社刊

哲学する科学:文化の遺伝子、ミーム

今回は、ミームの哲学的な側面を探求する前に、まずは「ミームとは何か?」についてのお話です。

リチャード・ドーキンスが最初にこの言葉を作ったとき、それは「生物の遺伝子」に対比される「文化の遺伝子」として語られました。

ミームの「創造主」、ドーキンスによるミームの定義は以下のようなものです。

『ミームとは文化複製の単位であり、脳内にある情報の単位である』

つまり、私たち人間の形作る芸術、言語、風俗、科学など、ありとあらゆる文化はミームに還元でき、ミームの複製と伝達によって文化は広がってゆく、ということのようです。

ちょっとスケールが大きすぎて分かりにくいかもしれませんので、また身近な例で考えてみたいと思います。


→あなたは会社員で、最近メタボ体型になってきたとします。このままでは生活習慣病になる!という危機感から、電車通勤の区間内で≪毎日一駅歩く≫ことにしました。会社で周りの同僚にこの話をしたところ、1週間後には10名ほどが同じように一駅歩くようになりました。


上の例では≪毎日一駅歩く≫というのがミームの一例です。
これはあなたが作り出したミームです。そして、ミームは人から人へと、人間の模倣する能力によってコピーされていきます。
ミームとは脳内にある情報の単位である、とドーキンスは言っています。
ミームの複製メカニズムは、ある人が何かを思いつき、それを言動や行動で他の人から見える形に表し、まねをしたいと思った人がまねすることによって実現されます。

もちろん、どんなミームでもコピーされるというものではありません。
コピーされる度合いは、コピーすることによる(見掛け上の)メリットに比例すると考えられます。


なんとなくミームとはどんなものか、イメージしていただけたでしょうか?

「わかった気はするけど、≪毎日一駅歩く≫とかいう行動が広がることが、それほど人間の生活に大きな影響を与えるとは思えないなあ」という風に感じた方もいるかもしれませんね。


では、次はもう少し違うスケールの例を考えてみましょう。


→誰が最初に始めたかは、あまりにも昔のこと過ぎてその道の研究者にしかわからないかもしれません。しかし、私たち日本人の多くは毎年夏になると、家族で≪先祖の供養≫を行います。この習慣は、いつの頃かに日本中に広まり、さらに伝わった地域ごとに年月を経るに従って、生物の遺伝子のように変異してきました。いまでは、日本中で地域によってかなり異なったお盆の風習が見られます。


この≪お盆の先祖供養≫という習慣も、ミームの一種です。しかし、≪毎日一駅歩く≫というミームよりもはるかに古く、強力なミームです。
「強力なミーム」とは、コピーされる力が強いミームのことです。コピーされる力が強ければ、それだけ短期間で多くの人に伝わり、それは「常識」と呼ばれることになるでしょう。

こうしてかなりの数のコピーを獲得し、ある程度の大きさを持つ人間の集団内で共有されるようになった習慣は、「文化」と呼ばれることになります。そして、それを媒介しているのが「ミーム」という情報の断片である、というのが、ミーム学の基本的な考え方です。


≪戦争≫や≪宗教≫、≪思想≫、≪哲学≫、≪芸術≫、≪科学的思考法≫、≪新型インフルエンザの脅威≫、≪自民党はもうダメ≫、≪一生懸命はカッコ悪い≫、≪老いは醜い≫、≪働くことは素晴らしい≫、≪地球は温暖化に向かっている≫、…すべてミームです。(これらのミームの「善し悪し」や「正誤」についてはここでは論じていません。が、これらはすべて「強力なミーム」という共通点を持っています。)



ドーキンスは、「利己的な遺伝子」の中で、「人間は遺伝子の乗り物である」として、人間を含む生物と、遺伝子の主従関係を逆に描いて見せました。つまり、遺伝子こそ主役であり、人間をはじめとするあらゆる生物はみな、遺伝子が変異することによって作り出した、遺伝子が生き残るのに都合のよい乗り物にすぎない、ということです。がーーん(笑)

これは生物と遺伝子の主従関係の話ですが…

文化とミームの関係においても、複製の最小単位であるミームこそが主役であり、文化はそれによって派生している現象と考えると、ちょっと不思議な気分になってきます。

つまり、人間のあらゆる思想、哲学、信念、芸術作品、日々の習慣、私たちの心を駆動しているそれらは、ミームが生き残るために変異し、複製され、さらに変異していく過程で派生的に生まれている現象にすぎない。ミーム理論は暗に、こう言っているのです。


さあ、これを踏まえて、まずはブロディの「心のウィルス」説を次号では見ていきましょう。


参考文献

ミーム ~心を操るウィルス
リチャード・ブロディ著
講談社刊

哲学する科学:ミームを知らないの?

リチャード・ブロディは当時、パソコンの『基本ソフト』、Windowsなどを作っているマイクロソフト社の社員で、Microsoft Wordの最初のバージョンを作っていた。

彼はある日マイクロソフト社のカフェテリアで、彼の尊敬する同僚のチャールズ・シモニやグレッグ・カスニックらと食事をしながら、なぜ無能で腐敗した政治家たちが当選し続けるのか、といったことを話していた。その話の流れの中で、チャールズ・シモニが突然こういった。

「よいミームだからだ。すぐれたミームだよ」

「すぐれた何だって?」とリチャード。

「ミームだよ。ミーーーーム!」と、チャールズ。

カスニックも言った。

「ミームを知らないのか?」

…学識も高くリスペクトする仲間たちが、知っていて当たり前と思っている、何やらとても重要らしい言葉。

こうして、リチャード・ブロディはミームの研究を始めることになる。


~~~~

ミームを最初に提唱したのはイギリスの動物行動学者、リチャード・ドーキンス。有名な著書、「利己的な遺伝子」の中でのことです。
「利己的な遺伝子」については既にかなり有名なのでここで詳細は書きませんが、ダーウィンの進化論について新たな見方を提示した本です。
すなわち、「生物の進化のために遺伝子が存在する」のではなく、「遺伝子が進化するために生物が存在する」という考え方で、生物学の世界にコペルニクス的転回をもらたしました。

そしてこの本の中で彼は、「文化」にも生態系にとっての遺伝子に相当する陰の主役が存在することを示唆しました。そしてそれに遺伝子(Gene)とギリシャ語の「模倣されるもの(Memene)」を掛け合わせて、「ミーム(Meme)」という名前を付けました。


~~~~

ブロディはその後ミームについて研究し、「ミーム ~心を操るウィルス」という本を書きました。

(もともとコンピュータ・ソフトウェアの開発会社でソフトウェア技術者として働いていた彼ですが、いまや彼の業績と主張は科学者たちの間でも一定の評価を得ています。)

その著書の中で彼は、以下のようなことを警告しています。

『私たちはミームにプログラムされている。』

『私たちはよいミームを選択して自分自身をプログラムしなければならない。』

『人類は、よりよいミームを選択することで、よりよい未来をつかみ取ることができる。』

彼の主張については後にもう少し詳しく見ていこうと思います。


蛇足ですが、私はずっと「ミーム」という言葉だけは聞いたことがあり、気になっていました。そして最初に読んだ、ミームについて書かれた本がこのブロディの著書でした。とても読みやすく、ミームという概念をわかりやすく説明していて、とても感銘を受けました。

しかし、その後読んだ別のミーム関連の書籍では、ブロディのものとはかなり違った主張が展開されており、私はそちらにより深い感銘を受けました。(実際は感銘などという言葉が適当とは思えない、強い衝撃と激しい興奮をも覚えました。)


~~~~

ともあれ、今回から本メルマガは新シリーズに突入し、「ミーム」という仮説が私たちの世界に対する認識にどのような変化を引き起こすのかについて考えてみたいと思います。

いままでこのメルマガでは、「私たち人間は、脳の中の無意識の領域において、その行動のほとんどを決定する生き物である。」「意識は3000年程度前に誕生したに過ぎず、それ以前の人間は意識なしで生きていた(かも?)。」「人間の意識は実は記憶の補助をするだけのプログラムである。」「<私>というのは意識が体験を記憶するために脳が生み出している幻想である。」といった仮説をご紹介してきました。


これまでご紹介した諸説で既に少なからぬ衝撃を受けられた方もいるかもしれません。

例えば、「人間は自らの行動を意識的に決めている」という「仮説」が、「人間の意識はどうやら大したことはしておらず、無意識がほとんど決めているらしい」という「仮説」で上書きされたとき、もしかするとあなたは軽いめまいを感じ、世界や人間や自分を見る目が多かれ少なかれ変わったのではないでしょうか?

「ミーム」は「文化の遺伝子」としてドーキンスに提唱された概念ですが、その後多くの研究者によって、心を説明する理論としても取り上げられ、研究されています。

このメルマガ『哲学する科学』では、ミーム概念の哲学的な影響について、特に掘り下げてみたいと思います。

それによって、私たちの、私たち自身についての理解がさらに変容することになるでしょう。


参考文献

ミーム ~心を操るウィルス
リチャード・ブロディ著
講談社刊

哲学する科学:無題

皆様、いつもご購読ありがとうございます。

本メルマガも創刊からはや2か月、今号で17号目を数えます。

創刊号から7号ほどでは、「私は死んだらどうなる?」という問いから出発し、あるロボット工学者の学説から、人間の脳の構造とそこから導き出される<私>の正体について迫り、人間の存在について新しい視点をご紹介できたと思っています。

8号から16号までは、様々な科学者や哲学者が「自由意思は存在しない」と言っていることについて、実際にいくつかの学説をご紹介し、「人が何かを決断するとはどういうことか」といったことについて、私なりの考えも多少述べさせていただきました。


次号から新章を始めようと思っていますが、その前にすこし、このメルマガの存在意義について、私がどう考えているかについてお話させてください。


子供の頃、少年向け科学雑誌などに触発された私は「いつか科学が世界のすべてを解き明かす。そして自分はそれを知ることになる。」と、漠然と信じていました。そして、未来は素晴らしいものに違いない、と。

しかし実際には、科学は未だ発展途上で、私は道に迷った子供のように、自分の人生にすらよい答えを見つけられていません。


一体私は、なぜここにいるのだろう。

どういう人生を歩めばいいのだろう。


あなたなら、このように追い詰められたとき、どうしますか?

私は、残念ながら特定の宗教を持ちませんし、人生の師といえるような人とも、巡り合えていません。哲学の入門書的なものを読んでみようとしましたが、あまり心に響きませんでした。

しかし科学の限界を知りつつも、最新の科学については未だに興味は尽きず、そして科学者たちのいくつかの学説、いくつかの言葉の中に、自分の抱えている問いへの答えを見たと感じ、前へ進む力を与えてもらったと感じています。



周りを見渡してみると、私たち日本人の心は拠りどころを失い、求心力のある政治家もおらず、多くの人が以前の私同様に途方に暮れて、またはただ流されるように日々を過ごしているように見えました。

私たち日本人は無宗教の人が多く、それも大きな要因と思えるのですが、わたちと同じように、確固たる心の拠りどころを持たず、いざという時に途方に暮れてしまう人に、宗教に帰依するのにも抵抗があり、よい師との出会いにも恵まれない人に、私が感じたある種の救いをおすそ分けできたら…ささやかながら、それが私がこのメルマガを書いている動機であり、書き続ける意義だと思っているのです。


もちろん、全く人生に迷ってなどいないし、単になんとなく面白いから読んでくれている、という方も大歓迎です。

まあ、私のモティベーションはそんなところからきていて、だから何の得にもならなそうなこんなメルマガを奇特にも書いているんですよー、という、何の役にも立たないトリヴィアとして笑い飛ばしてくれてよいです。

ただ私はそんな気持ちでこれからも書いていきますし、書きながら私も少しずつ変わっていきます。


願わくば私のその変化がよい方向のものでありますように。
そして読者の皆様にも、良い変化が訪れますように。
(誰に祈ってるんだろう?(笑))

哲学する科学:「意識」「無意識」「世界」

みなさん、こんにちは。

ここ数号では、意識と無意識についての学説をいくつかご紹介することで、私たち人間の自由意思はどこにあるのか、という問題に迫ってみました。

結論は・・・未だ科学者たちが追求している最中ですが、わかってきていることを簡単にまとめてみると、

 私たちは自分たちを「意識ある存在」であると感じていて、その「意識ある自分が自身の行動を決定している」と考えがちですが、実は「意識」はごくわずかなことしか同時に把握できない。

 実際にほとんどのことを把握し、決断しているのは私たちの無意識の部分であるという証拠も多く見つかってきている。私たちの意識は、無意識が決めたことをさも自分がやったことのように、<私>という主人公の物語として記録しているだけである、という意見もある。

 「私は私である」と考える「意識(自意識)」が人間に芽生えたのは、ほんの3000年前である、という説もある。それ以前の世界には人々には意識はなく、心の裡から聞こえる<神>の声に従って活動していたという。


・・・はたして、私たちには自由意思はないのでしょうか?


「意識」と「無意識」を分けて考え、さらに「私=意識」と考えると、答えは「Yes」です。

私たち(意識)は得体のしれない無意識によって動かされている人間という生き物の中にあり、自分では全く制御不能なこの存在が活動するのを眺め、自分がやったことと錯覚して日々を過ごしている、ということになります。

しかし、実は「意識」と「無意識」を分けることはできず、境目のない一つの実体であるとしたら、どうでしょう?

3000年以前の人間たちは誰一人、自分と世界の間に境界線を持たず、世界と一体となって暮らしていたと仮定してみましょう。

その頃の私たちの脳も構造的には今の私たちと変わらず、私たちの脳はある種のコンピュータのようなものとみなすことができ、生来の配線の上に、後天的な学習で無数のプログラムが作られていき、それらが協調して動作することで、私たちは考え、泣き、笑い、怒り、悩み、感動し、また何かを学習し、少しずつ変化しながら、生き続けていたとします。

しかしある時、私たちの中の一人が、自分と世界を区別するという発想を得て、自分に「私」というラベルをつけ、世界とは別のものと定義したとします。

その考え方はなかなかに面白く、それを知る人に時として大きな喜びをもたらしました。それは人から人に広まり、世代を超えて伝わり、やがて、世界中のほとんどすべての人の「心」に入り込み、誰もが「私は私だ」と考えるようになりました。

その考え方はしかし、私たちを不幸にもしました。自他を比べ、優劣を必要以上に気にし、自らの属する世界そのものすらを敵と考えさせることすらあります。

こうして、私たちは「私は私だ。しかし、私とは…いったい何なのだ?」という答えのない問いに向き合うことになったのです。


・・・これは、あくまで私の妄想ですが(笑)、


しかし、本当は意識と無意識は分けることはできず、無意識は体とつながり、体は世界とつながっているとしたら、、、私たちと世界もまた、分けることはできない、と考えることもできます。



19世紀の物理学者で、電気と磁気を統合する電磁気学の基礎を作った物理学者、マクスウェルは次のような言葉を残しているそうです。


「私自身と呼ばれているものによって成されたことは、私の中の私自身より大いなる何者かによって成されたような気がする」


マクスウェルの言った「大いなる何者か」とは、、、

≪それは無意識の領域で膨大な計算をこなし続けている、ニューラルネットワークの中の無数のプログラムたちである≫

ということもできるでしょう。ほんの少し前まで、実際私はこのように考えていました。しかし、


≪私の中の大いなる何者か、それは宇宙そのものである≫


ということも、ひょっとしたらありえるのかな…と、考え始めています。


21世紀の科学が、私がまた宇宙と完全に一つになるそのときまでに、もう少しだけ真実を私に見せてくれますように。


参考文献

ユーザーイリュージョン 意識という幻想
トール・ノーレットランダーシュ著
紀伊国屋書店刊