ここ数号の「哲学する科学」では、ブロディとブラックモアという二人のミーム論者による、ミーム論についてご説明しました。
そこで論じられていたことがらは、以下のようなものでした。
「ミームとは文化の遺伝子である。」
「ミームとは、私たちの心に入り込み、私たちを操るウィルス的側面を持っている。」
「ミームとは、私たちの心を形作る素材である。」
「私たちのミームは、私たちである。」
「自己とは、ミームが作り出す錯覚である。」
「自己が錯覚であることを自覚することで、人はよりよく生きられる。」
ミームが科学として真剣に研究され始めてからまだ、20年足らずです。
メンデルが遺伝学を研究し始めたのは19世紀半ばでした。そのメンデルは自らの発見した法則が認められる前にこの世を去り、ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を発見したのは20世紀半ばのこと。実にメンデルの研究から100年後でした。
生命現象を駆動する自己複製子、Gene(遺伝子)は太古の地球で生まれ、環境の圧力によってそれ自体とその乗り物である生命体を、自然選択によって進化させてきた。
文化と心を駆動する自己複製子、Meme(ミーム)は遺伝子進化が生み出したヒトの祖先の生命体の脳の中で生まれ、環境の圧力によってそれ自体とその表現系である人間の文化や心を進化させてきた。
これらはすべて、仮説です。
生命現象において遺伝子が主役であるというのも、一つの仮説に過ぎません。
また、遺伝子とのアナロジーにこだわるあまり、DNAに対応するミームの実態を探すことにこだわりすぎるより、文化と心のダイナミクスに着目し、遺伝子とは違った法則を探すべきであるようにも思えます。
しかし、ミームに関する諸説を巡る旅を通して私が得たのは、紛れもない、まったく新しい人間観、自分観でした。
そういう意味では、ミームは科学としてよりも、哲学的により重要な、思考ツールであるともいえるのではないでしょうか。
・・・少なくとも、現時点では。
参考文献
ミーム・マシーンとしての私
スーザン・ブラックモア著
草思社刊
ミーム ~心を操るウィルス
リチャード・ブロディ著
講談社刊
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