2009年10月3日土曜日

哲学する科学:奇妙な生き物

前回は、リチャード・ブロディのミーム論について書きました。

今回からは、スーザン・ブラックモアの「ミーム・マシーンとしての私」で説明されている、ミームおよび私たち人間の正体に関するお話に入っていきます。


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『人間は奇妙な生き物だ。私たちの体が他の生き物とまったく同じように自然淘汰によって進化したのは疑う余地はない。けれども、私たちは多くの点で他の生き物たちと違っている。』 ~スーザン・ブラックモア

この意見に納得のいかない人もいるかもしれません。以前は私もその中の一人でした。
なぜなら、人間とそれ以外の生き物はどちらも同じように遺伝子の情報をもとに作られており、結局人間も動物の一種だし、「科学的に」人間の解明が進めば進むほど、人間と動物を分け隔てる壁は崩れていき、違いなどないという結論に達するのだと、考えていました。

ただそれはごく最近の一部の人の考え方で、人間はおそらく有史以来ずっと、なぜか「人間は他の動物とは違う!」と信じてきました。
確かに私たち人間は高度に知的で、他のほとんどの動物のできないことができます。道具を作り、自分たちの都合のいいように生活環境を作り変えることさえできます。地球で最も優秀な主として地球を代表しているとさえ感じている人も多いでしょう。

しかし、本質的に、それらの違いを生みだしているものは何に帰結するのか?

ブラックモアは、「それはミームである。」と説きます。


ミームは、長い遺伝子進化によって生まれた人間の祖先がある時「模倣する能力」を獲得した瞬間に生まれたとブラックモアは言います。この特殊な遺伝形質は、他の人間の行動をまねする能力でした。

ちょっと想像してみましょう。

たとえば、誰かが新しい効率的な狩りの方法を編み出したとします。模倣する能力がなければ、その方法は遺伝的には受け渡されないので、編み出した人が死ねば失われてしまいます。しかし模倣能力によって、その技は遺伝的手段によらず、人から人へとコピーされていきます。

コピーされるものは多岐にわたりました。

食べられる草を見分ける方法、疲れない歩き方、異性を引き付ける効果的な方法の数々・・・
それらの多くは遺伝子の生き残りにとっても有効でした。よって、模倣能力の高い個体はそうでない個体に遺伝子淘汰上有利であり、人間は進化の過程でますます模倣の上手な種族になっていきました。



≪土器・石器・鉄器≫、≪言語≫、≪農耕≫、≪共同体≫、≪自然崇拝≫、≪仲間意識≫、≪武器≫…

全て誰かが発明し、それがコピーされることで広まってきたものです。

≪王≫、≪武器≫、≪戦争≫、≪自己≫、≪自己正当化≫、≪民主主義≫、≪社会主義≫、≪幸福≫、≪善悪≫、≪貨幣≫、≪経済≫、≪哲学≫、≪法律≫、≪科学≫、≪市場原理≫、≪相対性理論≫、≪ガイア仮説≫、≪夢≫、≪希望≫…

これらはすべて、他の生き物が知らずに生きている、人間を人間たらしめているものたちです。

これらはすべて、情報です。書物や芸術、建造物などの形で表現されることもできますが、基本的には人間の脳の中にあり、人から人へ伝えられます。そして、そのコピーされることによって複製され、時に変異する情報を「ミーム」と呼ぶのであれば、

人間を人間たらしめているのはミームである、ということになります。


とすると、ミームがどうコピーされ、どう変異するかを理解すれば、人を人たらしめている全てがどうして今の形になっていて、これからどうなっていくのかということも、わかるのではないでしょうか。

私は、そう考えてミーム学の発展に非常に高い期待を寄せています。


次回は、ブラックモアがミーム論から導いた、新しい人間観についてお話します。


参考文献

ミーム・マシーンとしての私
スーザン・ブラックモア著
草思社刊

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