2009年10月3日土曜日

哲学する科学:文化の遺伝子、ミーム

今回は、ミームの哲学的な側面を探求する前に、まずは「ミームとは何か?」についてのお話です。

リチャード・ドーキンスが最初にこの言葉を作ったとき、それは「生物の遺伝子」に対比される「文化の遺伝子」として語られました。

ミームの「創造主」、ドーキンスによるミームの定義は以下のようなものです。

『ミームとは文化複製の単位であり、脳内にある情報の単位である』

つまり、私たち人間の形作る芸術、言語、風俗、科学など、ありとあらゆる文化はミームに還元でき、ミームの複製と伝達によって文化は広がってゆく、ということのようです。

ちょっとスケールが大きすぎて分かりにくいかもしれませんので、また身近な例で考えてみたいと思います。


→あなたは会社員で、最近メタボ体型になってきたとします。このままでは生活習慣病になる!という危機感から、電車通勤の区間内で≪毎日一駅歩く≫ことにしました。会社で周りの同僚にこの話をしたところ、1週間後には10名ほどが同じように一駅歩くようになりました。


上の例では≪毎日一駅歩く≫というのがミームの一例です。
これはあなたが作り出したミームです。そして、ミームは人から人へと、人間の模倣する能力によってコピーされていきます。
ミームとは脳内にある情報の単位である、とドーキンスは言っています。
ミームの複製メカニズムは、ある人が何かを思いつき、それを言動や行動で他の人から見える形に表し、まねをしたいと思った人がまねすることによって実現されます。

もちろん、どんなミームでもコピーされるというものではありません。
コピーされる度合いは、コピーすることによる(見掛け上の)メリットに比例すると考えられます。


なんとなくミームとはどんなものか、イメージしていただけたでしょうか?

「わかった気はするけど、≪毎日一駅歩く≫とかいう行動が広がることが、それほど人間の生活に大きな影響を与えるとは思えないなあ」という風に感じた方もいるかもしれませんね。


では、次はもう少し違うスケールの例を考えてみましょう。


→誰が最初に始めたかは、あまりにも昔のこと過ぎてその道の研究者にしかわからないかもしれません。しかし、私たち日本人の多くは毎年夏になると、家族で≪先祖の供養≫を行います。この習慣は、いつの頃かに日本中に広まり、さらに伝わった地域ごとに年月を経るに従って、生物の遺伝子のように変異してきました。いまでは、日本中で地域によってかなり異なったお盆の風習が見られます。


この≪お盆の先祖供養≫という習慣も、ミームの一種です。しかし、≪毎日一駅歩く≫というミームよりもはるかに古く、強力なミームです。
「強力なミーム」とは、コピーされる力が強いミームのことです。コピーされる力が強ければ、それだけ短期間で多くの人に伝わり、それは「常識」と呼ばれることになるでしょう。

こうしてかなりの数のコピーを獲得し、ある程度の大きさを持つ人間の集団内で共有されるようになった習慣は、「文化」と呼ばれることになります。そして、それを媒介しているのが「ミーム」という情報の断片である、というのが、ミーム学の基本的な考え方です。


≪戦争≫や≪宗教≫、≪思想≫、≪哲学≫、≪芸術≫、≪科学的思考法≫、≪新型インフルエンザの脅威≫、≪自民党はもうダメ≫、≪一生懸命はカッコ悪い≫、≪老いは醜い≫、≪働くことは素晴らしい≫、≪地球は温暖化に向かっている≫、…すべてミームです。(これらのミームの「善し悪し」や「正誤」についてはここでは論じていません。が、これらはすべて「強力なミーム」という共通点を持っています。)



ドーキンスは、「利己的な遺伝子」の中で、「人間は遺伝子の乗り物である」として、人間を含む生物と、遺伝子の主従関係を逆に描いて見せました。つまり、遺伝子こそ主役であり、人間をはじめとするあらゆる生物はみな、遺伝子が変異することによって作り出した、遺伝子が生き残るのに都合のよい乗り物にすぎない、ということです。がーーん(笑)

これは生物と遺伝子の主従関係の話ですが…

文化とミームの関係においても、複製の最小単位であるミームこそが主役であり、文化はそれによって派生している現象と考えると、ちょっと不思議な気分になってきます。

つまり、人間のあらゆる思想、哲学、信念、芸術作品、日々の習慣、私たちの心を駆動しているそれらは、ミームが生き残るために変異し、複製され、さらに変異していく過程で派生的に生まれている現象にすぎない。ミーム理論は暗に、こう言っているのです。


さあ、これを踏まえて、まずはブロディの「心のウィルス」説を次号では見ていきましょう。


参考文献

ミーム ~心を操るウィルス
リチャード・ブロディ著
講談社刊

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