2009年10月3日土曜日

哲学する科学:心の遺伝子、ミーム

私たち人間は他の生き物とどう違うのか?

それは、人間の模倣能力によって生まれたミームが生み出す、多様な文化を持っていることである。

≪国ごとの文化、風習≫、≪貨幣経済≫、≪宗教≫、≪映画≫、≪文学≫、≪IT社会≫、≪温暖化ガス排出権取引≫、≪ブログ≫、≪メルマガ≫…

これらは全て「ミーム」である。

前回はそういうお話をしました。


最近メルマガをご登録いただいた皆様は「ミーム」とは何か、ご存じない方も多いかと思います。詳しくは、バックナンバーをお読みいただくのがよいかと思います。

バックナンバーhttp://m.mag2.jp/b/M0094525(「ミーム編」は8月31日号以降の4号です。)

さて、今回からはいよいよミームについてのお話の核心部分に入っていきます。

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地球上のあらゆる生命現象は、太古の海に生まれた遺伝子という自己複製子の複製と変異が生み出している。

全ての生き物は遺伝子の乗り物(方舟)であり、人間を除くほとんどの生き物の行動は、気の遠くなるほどの時間の中で自然淘汰によって進化してきた遺伝子に還元できる。

そして、私たち人類が持つ「文化」はヒトの祖先の脳に生まれたミームという第2の自己複製子の複製と変異が生み出している。

ミームはヒトの脳から脳へ人によってコピーされ、急速な変異を繰り返しながら、無数のヒトの脳という環境の中で淘汰され、進化してきた。その表現系がヒトの文化である。

…と、ミームについて今までの話を(いままで使ってない表現も使って)ざっとまとめるとこんな具合でしょうか。

では、私たち一人一人にミーム理論を当てはめて考えると、どういう仮説が導き出されるのでしょうか?


私たちは個人レベルでは、例えば以下のようなミームを運んでいると考えることができます。

≪将来の夢≫、≪家族への愛≫、≪お気に入りの小説に含まれるメッセージ≫、≪経済観念≫、≪政治的思想≫、≪友達との付き合い方≫、≪休日の過ごし方≫、≪仕事への姿勢≫、≪恋人の愛し方≫、≪趣味≫、≪人生観≫、エトセトラ、エトセトラ。

私たち人間は、生まれてきてからずっと、こうしたミームを私たち自身の外部から取り込み、それを取捨選択しながら生きてきました。

そうした営みの中で、時として強力なミームが生み出され、急速に多くの人の脳の中にコピーされ、(例えば≪コスプレ≫のように^^;)「文化」として認知されていくわけですが・・・

しかし日々私たちの中で行われている膨大な「ミーム処理」(考え事や、友達とのおしゃべり、テレビを見たり、芸術を鑑賞したり…)によって私たちの頭の中に生まれる無数のミームの変種たちは、ほとんどがコピーされることなく、消えていきます。

ですが結果として、私たちの脳の中には、無数のミームが存在しています。そして、それらミームの組み合わせが私たちの個性を形作っている、ともいえるかもしれません。

ならば、ミームは私たちの「心の素材」といえるのではないでしょうか。


想像してみてください。

私たちが脳の中に蓄え、捨てることなく少なくともしばらくの間は保持しているミームたちが、私たちの心の在り方を決定している・・・(例えば≪幼少期に見た母の背中≫、あるいは昨日読み終えた小説の主人公の≪鮮烈な生きざま≫など)

もちろん、遺伝的に温厚であったり怒りっぽかったりということもあるかとは思います。しかし、私たち人間を特別なものにしているのは、自らの中にミームを蓄え、他者とミームをやり取りし合い、結果として自分の中のミームの組み合わせを変化させていくことで、自分の≪信念≫や≪生き方≫といったものを形成していくという側面なのかもしれません。


つまり、「文化の遺伝子」であるのみならず、ミームは私たちの「心の遺伝子」でもある、と考えられるのです。



『私たちのミームは私たちなのである。』 ~スーザン・ブラックモア



参考文献

ミーム・マシーンとしての私
スーザン・ブラックモア著
草思社刊

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