2009年10月3日土曜日

哲学する科学:無題

皆様、いつもご購読ありがとうございます。

本メルマガも創刊からはや2か月、今号で17号目を数えます。

創刊号から7号ほどでは、「私は死んだらどうなる?」という問いから出発し、あるロボット工学者の学説から、人間の脳の構造とそこから導き出される<私>の正体について迫り、人間の存在について新しい視点をご紹介できたと思っています。

8号から16号までは、様々な科学者や哲学者が「自由意思は存在しない」と言っていることについて、実際にいくつかの学説をご紹介し、「人が何かを決断するとはどういうことか」といったことについて、私なりの考えも多少述べさせていただきました。


次号から新章を始めようと思っていますが、その前にすこし、このメルマガの存在意義について、私がどう考えているかについてお話させてください。


子供の頃、少年向け科学雑誌などに触発された私は「いつか科学が世界のすべてを解き明かす。そして自分はそれを知ることになる。」と、漠然と信じていました。そして、未来は素晴らしいものに違いない、と。

しかし実際には、科学は未だ発展途上で、私は道に迷った子供のように、自分の人生にすらよい答えを見つけられていません。


一体私は、なぜここにいるのだろう。

どういう人生を歩めばいいのだろう。


あなたなら、このように追い詰められたとき、どうしますか?

私は、残念ながら特定の宗教を持ちませんし、人生の師といえるような人とも、巡り合えていません。哲学の入門書的なものを読んでみようとしましたが、あまり心に響きませんでした。

しかし科学の限界を知りつつも、最新の科学については未だに興味は尽きず、そして科学者たちのいくつかの学説、いくつかの言葉の中に、自分の抱えている問いへの答えを見たと感じ、前へ進む力を与えてもらったと感じています。



周りを見渡してみると、私たち日本人の心は拠りどころを失い、求心力のある政治家もおらず、多くの人が以前の私同様に途方に暮れて、またはただ流されるように日々を過ごしているように見えました。

私たち日本人は無宗教の人が多く、それも大きな要因と思えるのですが、わたちと同じように、確固たる心の拠りどころを持たず、いざという時に途方に暮れてしまう人に、宗教に帰依するのにも抵抗があり、よい師との出会いにも恵まれない人に、私が感じたある種の救いをおすそ分けできたら…ささやかながら、それが私がこのメルマガを書いている動機であり、書き続ける意義だと思っているのです。


もちろん、全く人生に迷ってなどいないし、単になんとなく面白いから読んでくれている、という方も大歓迎です。

まあ、私のモティベーションはそんなところからきていて、だから何の得にもならなそうなこんなメルマガを奇特にも書いているんですよー、という、何の役にも立たないトリヴィアとして笑い飛ばしてくれてよいです。

ただ私はそんな気持ちでこれからも書いていきますし、書きながら私も少しずつ変わっていきます。


願わくば私のその変化がよい方向のものでありますように。
そして読者の皆様にも、良い変化が訪れますように。
(誰に祈ってるんだろう?(笑))

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