2009年10月3日土曜日

哲学する科学:自己複合体

前回は、ミーム学的に考えると、「私」というのは≪自己≫というミーム複合体である、というお話でした。

今回はこの≪自己≫というミーム複合体、自己複合体についてもう少し考えてみましょう。

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ブラックモアは言います。

『ミーム複合体とはお互いにとって有利であるために一緒になっているミームの集団である。複合体内のミームたちはひとたび一緒になると、自己組織的、自己防衛的な構造を形成し、それが集団とうまくやっていけるミームを歓迎し保護する一方で、そうでないものを追い払う。』

つまり、すべての≪宗教≫、≪イデオロギー≫などをはじめとするミーム複合体は、新たにやってくるミームに対して、自らを強化するものを迎え入れ、そうでないものを排除することで、より強力になっていった考えられるわけで・・・。

そして≪自己≫もまた、ミーム複合体として同じことをしてきた、と。

≪私は私である≫という考えがいつ生まれたのかは定かではありません。

しかし、ひとたび誕生すると、それは強力に他のミームの複製を助けた、というのが、なぜ≪自己≫がこれほど蔓延しているのかの答えだ、というのがブラックモアの考えのようです。


たとえば、「○○をxxする」という行為だけではなかなか真似してもらえませんが、「私は○○をxxするのが好きだ」と言うと、より関心をひかれますよね?

なぜなら、それに同意できる場合は「私も・・・」ということになり、それはすなわち≪私は○○をxxするのが好き≫というミームのコピーを意味する。

≪私は○○をxxするのが好き≫というのは実はミーム複合体であり、≪私は私≫というミームを含んでいます。

逆に言うと、≪私は○○をxxするのが好き≫というミーム複合体は、≪私は私(自己)≫ミームを含むさらに大きな≪自己複合体≫の一部でもあり、≪自己≫というミームを核として、複製されやすいより小さなミーム複合体に支えられ、ほとんどすべての人の心の大きな部分を占めている、という状況を、そのコピーされやすく、想起されやすい性質がゆえに引き起こしている、と考えられます。


『占星術に関する知識とそれについておしゃべりする傾向を蓄えることができる脳は存在するが、そのうえに信念を「もつ」自己は存在しない。毎日ヨーグルトを食べる生物学的な生き物は存在するが、そのうえにヨーグルトを愛する内面の自己は存在しない。ミーム世界がますます複雑になるにつれ、自己もそれにならう。』 


そして私たちは、年中「私」について考え、「私」の過去や「私」の未来、「私」のシアワセやら「私」の老後やら、「私」の他人から見た姿やら「私」がどれだけ素晴らしい人間か、またはそうでないか、など、およそ考えなくてもよい無数の「私」考を繰り広げてしまう・・・≪私(自己)≫というミームの強力さ故に。


『自己複合体が成功しているのは、それが真実だからでも優れているからでも、美しいからでもない。それが私たちの遺伝子を助けるからでもないし、私たちを幸福にするからでもない。(中略)(逆に)これこそが、ときに絶望的に不幸で、混乱した嘘としての人生を生きる理由ではないかと私は言いたい。ミームたちが私たちにそうさせてきたのである。――なぜなら、「自己」はミームの自己複製を助けるからである。』 ~スーザン・ブラックモア


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では、≪私≫に囚われることが≪私たち≫を≪不幸≫にするのであれば、いったいどうすればよいというのでしょうか?

・・・次回は、ブラックモアによるミーム論の最終回です。


参考文献
ミーム・マシーンとしての私
スーザン・ブラックモア著
草思社刊

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