2009年10月3日土曜日

哲学する科学:ミームを知らないの?

リチャード・ブロディは当時、パソコンの『基本ソフト』、Windowsなどを作っているマイクロソフト社の社員で、Microsoft Wordの最初のバージョンを作っていた。

彼はある日マイクロソフト社のカフェテリアで、彼の尊敬する同僚のチャールズ・シモニやグレッグ・カスニックらと食事をしながら、なぜ無能で腐敗した政治家たちが当選し続けるのか、といったことを話していた。その話の流れの中で、チャールズ・シモニが突然こういった。

「よいミームだからだ。すぐれたミームだよ」

「すぐれた何だって?」とリチャード。

「ミームだよ。ミーーーーム!」と、チャールズ。

カスニックも言った。

「ミームを知らないのか?」

…学識も高くリスペクトする仲間たちが、知っていて当たり前と思っている、何やらとても重要らしい言葉。

こうして、リチャード・ブロディはミームの研究を始めることになる。


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ミームを最初に提唱したのはイギリスの動物行動学者、リチャード・ドーキンス。有名な著書、「利己的な遺伝子」の中でのことです。
「利己的な遺伝子」については既にかなり有名なのでここで詳細は書きませんが、ダーウィンの進化論について新たな見方を提示した本です。
すなわち、「生物の進化のために遺伝子が存在する」のではなく、「遺伝子が進化するために生物が存在する」という考え方で、生物学の世界にコペルニクス的転回をもらたしました。

そしてこの本の中で彼は、「文化」にも生態系にとっての遺伝子に相当する陰の主役が存在することを示唆しました。そしてそれに遺伝子(Gene)とギリシャ語の「模倣されるもの(Memene)」を掛け合わせて、「ミーム(Meme)」という名前を付けました。


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ブロディはその後ミームについて研究し、「ミーム ~心を操るウィルス」という本を書きました。

(もともとコンピュータ・ソフトウェアの開発会社でソフトウェア技術者として働いていた彼ですが、いまや彼の業績と主張は科学者たちの間でも一定の評価を得ています。)

その著書の中で彼は、以下のようなことを警告しています。

『私たちはミームにプログラムされている。』

『私たちはよいミームを選択して自分自身をプログラムしなければならない。』

『人類は、よりよいミームを選択することで、よりよい未来をつかみ取ることができる。』

彼の主張については後にもう少し詳しく見ていこうと思います。


蛇足ですが、私はずっと「ミーム」という言葉だけは聞いたことがあり、気になっていました。そして最初に読んだ、ミームについて書かれた本がこのブロディの著書でした。とても読みやすく、ミームという概念をわかりやすく説明していて、とても感銘を受けました。

しかし、その後読んだ別のミーム関連の書籍では、ブロディのものとはかなり違った主張が展開されており、私はそちらにより深い感銘を受けました。(実際は感銘などという言葉が適当とは思えない、強い衝撃と激しい興奮をも覚えました。)


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ともあれ、今回から本メルマガは新シリーズに突入し、「ミーム」という仮説が私たちの世界に対する認識にどのような変化を引き起こすのかについて考えてみたいと思います。

いままでこのメルマガでは、「私たち人間は、脳の中の無意識の領域において、その行動のほとんどを決定する生き物である。」「意識は3000年程度前に誕生したに過ぎず、それ以前の人間は意識なしで生きていた(かも?)。」「人間の意識は実は記憶の補助をするだけのプログラムである。」「<私>というのは意識が体験を記憶するために脳が生み出している幻想である。」といった仮説をご紹介してきました。


これまでご紹介した諸説で既に少なからぬ衝撃を受けられた方もいるかもしれません。

例えば、「人間は自らの行動を意識的に決めている」という「仮説」が、「人間の意識はどうやら大したことはしておらず、無意識がほとんど決めているらしい」という「仮説」で上書きされたとき、もしかするとあなたは軽いめまいを感じ、世界や人間や自分を見る目が多かれ少なかれ変わったのではないでしょうか?

「ミーム」は「文化の遺伝子」としてドーキンスに提唱された概念ですが、その後多くの研究者によって、心を説明する理論としても取り上げられ、研究されています。

このメルマガ『哲学する科学』では、ミーム概念の哲学的な影響について、特に掘り下げてみたいと思います。

それによって、私たちの、私たち自身についての理解がさらに変容することになるでしょう。


参考文献

ミーム ~心を操るウィルス
リチャード・ブロディ著
講談社刊

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